2018年01月14日

京都の名所旧跡ご紹介92 御所八幡宮

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京都の名所旧跡97 御所八幡宮
 
高倉通り御池にある神社です。
ご祭神は「応神天皇」「神功皇后」「比売神」。
もともと
御池堺町西南角の御所八幡町にありましたが、
太平洋戦争中、御池通りの強制疎開によって、
現在の場所に移されました。
 
この短い文章ですでに、
京都が大戦下にあったことがわかります。
戦時中の京都について、
もっと勉強していかなければ、
先の戦が応仁の乱という冗談なのか何なのか、
よくわからないアレが、いつまでも
「京都を象徴するもの」として
残ってしまいます。
 
さて、
この八幡社がどうして、
「御所」八幡宮と呼ばれるのか?といいますと、
御所八幡町にあったから・・ではありません。
むしろ、「御所八幡宮」があったから、
町名が「御所八幡町」になったのでしょう。
知らんけど。
 
「御所八幡宮」という名前の由来は、
室町幕府初代将軍 足利尊氏が、
自らの邸宅の守り神として
呼び寄せたことにあるそうです。
 
駒札にはそうやって書いてあるんですけど、
これ、へ〜〜、そうなんや〜〜って
ならないですよね。
どうして尊氏が勧請したから
「御所八幡宮」になるのでしょう・・。

駒札には 尊氏の法名によって、
「等持寺八幡」とも
現在の地名から「高倉八幡」とも
呼ばれると書いてあります。
この二つはよくわかります。
腑に落ちます。
 
しかし、
尊氏が勧請したから
「御所八幡宮」になったというのは、
う〜〜ん、
やっぱり何回読んでもわからないのです。

駒札はたま〜にこうして不親切です。
だいぶ「間」が抜けとるんです。
この抜けた「間」を学んでいくのが、
面白かったりするのですが。

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posted by 涌井慎 at 12:09 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月13日

京都の名所旧跡ご紹介91 青龍寺

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高台寺や圓徳院のすぐ近くにある
浄土宗のお寺です。

延暦年間(782年〜805年)、
桓武天皇の勅命で右京区の小塩山に
建てられました。
もともとは「大宝寺」という
名前だったそうです。
平安遷都の際、東山に移されました。
 
その後しばらく荒廃していましたが、
建久3年(1192年)、
法然上人の弟子の見仏さんが再建。
法然上人を招いて、念仏道場として、
「引導寺」という名前に改めました。
 
全然、「青龍寺」にならへんやないか。
と思っていたら、
寛永年間(1624年〜1643年)、
霊巖さんによって
「青龍寺」に改称されたそうです。
霊巖は「れいがん」と読みます。
アメリカの大統領みたいな名前ですね。
 
本堂に収められている聖観音像は
平安時代の作品で、
桓武天皇が伝教大師最澄さんに命じて、
唐から渡来した伽羅の木で
彫刻させたものだそうです。
このため、別名「伽羅観音」とも
呼ばれています。
 
その本堂の前には大小2つの石があります。
念仏石といいまして、
これは見仏さんたちが「阿弥陀仏」を
昼夜に6回拝む「六時礼賛」を行った際、
この石を叩きながら
調子をとったといわれています。
 
ところで、「平安京」は
「四神相応の地」に造られたといわれています。
北を玄武、東を青龍、
南を朱雀、西を白虎が守護する場所は、
栄えるといわれていて、
「平安京」は
その「四神相応の地」に当たるんです。

「青龍寺」があるのは 
ちょうど青龍が守護する都の東側。
 
だから青龍寺っていう
名前にしたんかもしれません。
知らんけど。

posted by 涌井慎 at 21:39 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

NO.820 信用できないもの。

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最近は「鮎」推しですな。

滋賀県湖北名産の子鮎の美味しさは
「鮎つばもの」です。
信頼できるという意味です。

「辛」に線を一本足せば「幸」になるように
「まゆつばもの」から「M」を引けば
「あゆつばもの」。

意味が逆転します。

posted by 涌井慎 at 12:48 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月11日

京都の名所旧跡ご紹介90 圓徳院

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北政所終焉の地「圓徳院」。

豊臣秀吉さんが亡くなった後、
その妻の北政所(ねね殿)は
慶長10年(1605年)、
秀吉さんとの思い出深い
伏見城の化粧御殿と前庭をコチラに移築して、
ご自身も移り住みました。
 
ねね殿は77歳でお亡くなりになるまで、
19年間、コチラで余生を送りました。
大名さんや禅僧さん、茶人に歌人、
画家、陶芸家など、
いろんな方が、ねね殿を慕い、
コチラを訪れたそうです。
 
圓徳院は ねね殿がこの世を去った9年後、
寛永9年、甥っ子の足守藩主、木下利房さんが、
高台寺の三江和尚を開基として、
木下家の菩提寺として開いたお寺です。
 
方丈は創建当時のもので、
内部の襖には長谷川等伯による
三十二面の水墨画が描かれています。
(国の重要文化財に指定されています)
 
伏見城から移したという化粧御殿の前庭は、
庭石や枯滝の石組が配置された豪華なもので、
桃山時代の枯山水庭園の様式を
今に伝えています。
(国の名勝に指定されています)
 
境内に祀られている三面大黒天像は、
豊臣秀吉さんの守り本尊です。
大黒天と毘沙門天と弁財天の三天が
合体している三面大黒天像はつまり、
三天のご利益がすべて備わっているわけです。
 
この合理性こそが、御土居を築き、
お寺を現在の寺町通りに集中させるなど、
京都の町を合理的な街並みに
整備させたのでしょう。
知らんけど。

posted by 涌井慎 at 17:09 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月10日

NO.819 個めのレパートリー。

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豊富なレバートリーをお持ちです。
寿命を全うするまで続いたら、
1万とか越えるんでしょうか。

たいしたことのない人生でも、
こんなことで、
少しばかり面白さをプラスできるわけだ。

私自身も誰かにとって、
このお弁当のような存在でありたい。

posted by 涌井慎 at 12:49 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

NO.818 お弁当の中にタイの遺跡がありました。

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アユタヤ遺跡。

私、海外には行ったことがありません。。
アユタヤ遺跡は
バンコク近郊で
「絶対に訪れるべきスポット」らしいです。

インターネットで仕入れた情報って
薄いよね。薄い。
でも、やたら、
「海外では〜〜」みたいなことを
言うてくる人のことも好きではありません。


難しいことはよくわかりませんけど、
ご飯の上に「鮎タヤ」があって、
お弁当に遺跡があった!!
と騒いでるくらいが、
私にはちょうどいいです。



ごちそうさまでした。


posted by 涌井慎 at 11:41 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月08日

NO.817 お正月に疲れた胃腸に

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お正月に疲れた胃腸をいたわるため、
七草粥を召し上がる方も
多いと思いますが、
我が家は実家滋賀県湖北自慢の鮎で
七草鮎をいただきました。


全然、胃腸休まらへん。

posted by 涌井慎 at 15:28 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする