2017年11月06日

幕末はワカンナイ。

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幕末ってワカンナイ。
もう20年ほど抱き続けている思いです。

三国志のことなら子供の頃、
すんなり頭に入ったのに
幕末のことは、こんがらがって
全然、染み込んでこない。
たぶん、子供の頃に興味を持っていたら
幕末もすんなり入ってきたんでしょうね。

大人の硬い頭では理解できないことを
子供はとてつもない好奇心と吸収力で
スイスイと知識を吸い込んでいきます。

できない大人はそれでも、
何かと悪あがきをして、
うまくまとめて詰め込もうとする。
そして、すぐに忘れる。

でも不思議なもので、
覚え忘れ覚え忘れを繰り返すと
やがて忘れないようになる。
反復しないと覚えられない。
でも、反復さえすれば、
いつか必ず覚えられる。

でも、覚えられるのは
好きでい続けることができたものだけです。

この理屈でいくと、
人は好きじゃないものは忘れ、
好きなものだけ覚えていられるという、
とても素敵な生き物なのです。

さ、勉強しよ。

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posted by 涌井慎 at 19:49 | Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

京都の名所旧跡ご紹介58 大福寺

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大福寺。
 
おそらく京都で
最も美味しそうな名前のお寺です。
麩屋町二条上ルにあります。
 
天台宗のお寺で、
創建はなんと、
推古天皇の時代(西暦593年〜628年)!
大和国(奈良県ですね)宮田郷に
建立されましたが、
平安時代初期、
勅旨(簡単にいうと天皇の命令)によって
京都に遷されました。
 
本尊の菩提薬師如来は
聖徳太子作とされていて、
「京都十二薬師」の一つです。
聖徳太子さん、
仏師みたいなこともできるんですね・・。
 
天皇家からも親しまれ、京都に移った際は
七堂もの伽藍をもつお寺でしたが、
1788年、「天明の大火」で炎上したため、
いまでは僅かに
当時の面影を残すばかりとなっています。
 
幕末には勤王の志士「梅田雲浜」さんが、
境内に仮住まいをして、奥様を迎えています。
雲浜さんは若狭国(いまの福井県小浜市)出身で、
尊王攘夷の志を抱き、京都に出てきてからは
同志と交え、国事に奔走しましたが、
「安政の大獄」で吉田松陰さん、
橋本左内さん、頼三樹三郎さんらと共に
捕らえられてしまいました。
 
それはさておき、「大福時」は
“大きい福”ですから、
これ以上なく縁起がいい!ということで、
お正月には商売繁盛を祈願して、
商家の出納帳にお寺の宝印を
授与する習わしがあります。
ほか、境内には「安産腹帯地蔵尊」や
「布袋尊」も祀られています。
 
安産のお地蔵様と布袋さんが祀られていたら、
ベビベビベイビベイビベイビベイビベイベ!って
歌いたくなりますね。
 

posted by 涌井慎 at 16:02 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

ちょっと前のダジャレ弁当。

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ここ最近、
全くお弁当をアップしてないので、
たまにはプレイバック過去弁。

見返してみても、
全く何かわからないお弁当も多いのですが、
これは比較的わかりやすいやつです。

わかりますよね?

posted by 涌井慎 at 12:12 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

京都の名所旧跡ご紹介57 六角堂

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烏丸六角東入ルにある「六角堂」。
正しくは紫雲山頂法寺といいます。
聖徳太子が建立した歴史の古いお寺で、
西国三十三所の第18番札所でもあります。
本堂が六角形なので
「六角堂」と呼ばれています。
 
かつては祇園祭の「くじ取式」が
行われていました。
(現在は京都市役所)
境内には“京都の中心”といわれる
「へそ石」があります。
これは もともと
門前の六角通りにあったものを、
明治時代初期に門内へ移したものです。
 
平安京の造営の際、
本堂の位置に道を通すため、
お祈りをしたところ、
お堂が少し北の現在地へ移動したんですが、
もとの位置にこの石だけ、
残ったと言い伝えられています。
どこからどこまでが本当の話なのか・・。
 
歴史の古いお寺には 
いまの感覚だと理解しがたい言い伝えが、
いろいろ残っているものです。

本堂前の柳の木にも逸話があります。
平安時代初期、妃になる女性を探していた
嵯峨天皇の夢枕に
六角堂の如意輪観音様が現れ、
「六角堂の柳の下を見てみなさい」と
お告げを受けました。
人を使わせてみると、
柳の下には絶世の美女がいたため、
嵯峨天皇は直ちに妃として迎えたそうです。
この言い伝えから、
「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」と
噂が広がり、”縁結びの柳“と
呼ばれるようになりました。
 
境内にある池の中にある石でできた井筒は、
聖徳太子が沐浴をした場所だといわれています。
太子はここにあった池に入って
身を清めていたんだそうです。
その池の畔の位置に
僧侶の住まい(住坊)が建てられました。
 
「池」の畔の住「坊」なので「池坊」。
室町時代、六角堂の僧侶「池坊専慶」は
武士に招かれて花を挿し、
京都の人々の間で評判となりました。
ここに日本独自の文化として
「いけばな」が成立したわけです。

六角堂は「いけばな発祥の地」でもあります。

posted by 涌井慎 at 21:41 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月02日

京都の名所旧跡ご紹介56 御手洗社

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結局今週はお弁当なしで終わりそうな予感。

一つ言えるのは
早寝早起きが
とても気持ちいいということです。

朝10時から夜10時まで
なんやかんやと頑張ってるとする。
でも同じ分量を朝5時から始めれば
夕方5時に終われるわけです。
なんか得した気分になれます。

そんなわけで、
お弁当から遠ざかっているわけです。

さてさて、御手洗井は
烏丸蛸薬師にある小さなお社です。
御手洗井と呼ばれる井戸があります。
 
かつて、
祇園社御旅所社務、
藤井助正さんの御屋敷がありました。
お屋敷のお庭の前には
牛頭天皇社が建てられていて、
毎朝、井戸のお水を
牛頭天皇にお供えしていたそうです。
 
ちなみに烏丸仏光寺にある大政所御旅所は
秦助正さんが住んでいた場所でした。
こんなに近い場所に二人も助正が住んでいて、
そのうえ、どちらも
祇園会にまつわるお屋敷に住んでいたなんて、
ものすごい偶然ですよね。

はたまた藤井助正さんと
秦助正さんは同一人物なのか。
普通に考えると、
同一人物説のほうがしっくりきますが。
 
さて、やがて永禄11年、
織田信長さんが上洛して、
御旅所を移転しますが、
ここの井戸の水が格別だと聞き、
井戸に施錠して、鍵を町の人に渡し、
毎年、祇園会のときのみ井戸を開いて
人々に水を振舞ったとされています。
現在も7月15日から24日まで、井戸を開いて、
人々に水を分け与えているそうです。
 
豊臣秀吉さんの時代に
町の人々の申し出によって、
界隈は「手洗水町」という
町名になったということですから、
町の人々にとっても、
とても誇らしい井戸水なのではないでしょうか。
 
信長さんの時代に
「格別」と評されただけあって、
いまも御手洗井のお水は
抜群に美味しいらしいです。



posted by 涌井慎 at 21:31 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

ドラえもん。

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昨日、「魔界大冒険」で
石にされてしまったドラえもんを
京都市内で見つけました。

どこに行けば見られるか?
これはおそらく
インターネットで調べても
出てこないと思います。

ラジオに携わる者として、
こういう足で稼ぐ情報を
大切にしたいです。
役に立つ情報か否かは
また別問題です。


今朝は5時起きでした。
「吉田山田」のお二人が来局され、
「今日のお弁当見せてください!」と
言ってくれたんですが、
なくってごめんなさい。

「吉田山田」はクリスマスイブに
大阪でツアーファイナルです。
心温まるライブへ是非お出かけください。


posted by 涌井慎 at 13:03 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月31日

京都の名所旧跡ご紹介55。天道神社

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朝方生活に変えたため、
お弁当のない暮らしが続いております。
ものすごく自意識過剰なことをいいますと、
お弁当を楽しみにされている皆様、
ごめんなさい。

しかしながら、
5時に出発するような暮らしで
お弁当を作ってくれとはいえませんし、
私にはあんなお弁当、作れません。

天道神社は
 仏光寺通り猪熊西入ルにあります。
 
伊勢神宮の天照皇大神、
八幡大神、春日大神を祀る神社です。
もう神様のベストアルバムみたいやね。
もとは「天道宮」と呼ばれていて、
現在の長岡京市に鎮座していましたが、
794年の平安遷都の際、
現在の東洞院御池上ルあたりに遷されました。
 
当時は皇族をはじめ、
京の人々が常に集まっていて、
大変、荘厳な神社でしたが、
度々、火災に見舞われ焼失しました。

天正2年(1574年)には織田信長によって、
現在の場所に再興されましたが、
天明8年(1788年)の「天明の大火」で再び焼失。
その後、またまた再建、
修復されて現在に至ります。
 
境内には明治天皇の皇后の昭憲皇太后の
御胞衣(胎盤)塚があります。
一条家に誕生された皇太后の栄華を
祈願するため、皇太后の父君が、
コチラに御胞衣を埋納したところ、
19歳のとき、皇后となるよう、
宣下を受けたと伝えられています。
 
毎年5月17日に行われる「天道花神事」は、
長い竿の先で季節の花を三方向に結び、
高く上げる神事で、
狩野永徳が描き、織田信長から
上杉謙信にプレゼントされた
『洛中洛外図屏風』にも描かれています。
いまでは「天道神社」でしか見られない
伝統的神事です。
 


posted by 涌井慎 at 13:34 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする