2017年11月15日

京都の名所旧跡ご紹介64 俊成社

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烏丸松原の角、
ホテルの一角にある小さな小さな祠です。

天皇に請われて和歌の神様を
平安京に呼び寄せるのが得意技、
平安時代末期の歌人、
藤原俊成さんを祀る俊成社です。
 
これまでにも新玉津島神社や
住吉神社を紹介した際、名前が出てきました。
藤原俊成さんは
勅撰集の千載和歌集の選者として有名です。
邸宅が五条通り(現在の松原通り)にあったため、
「五条三位」と呼ばれていました。
この界隈に「俊成町」の名前が残るのも、
もちろん藤原俊成さんが由来です。
 
平家物語には西国へ都落ちする平忠度さんが、
和歌の師匠と仰いでいた
俊成さんの邸宅を訪れるシーンがあります。
 
一度は西国へと出発した忠度さんが引き返して、
「勅撰集に一首でも入れてくださったら、
遠いあの世からお守りいたします」と、
なんと100を越える和歌を
俊成さんに託したのでした。
 
俊成さんは 忠度さんの和歌のなかから、
「さざなみや 志賀の都はあれにしを
むかしながらの 山ざくらかな」をセレクト。
あえて“読み人知らず”として選んだそうです。
 
俊成さんの邸宅は諸説あるものの、
現在の烏丸松原一帯にあったとされています。
「俊成社」は 後世の人によって、
俊成邸跡の印として、
民家の裏庭にこじんまりと建てられました。

この一帯が「俊成町」と改められたのは
江戸時代後期。
当時、因幡堂前町の人々が
奉行所に願い出て認められたそうです。
地元の人たちにとって、
俊成さんの存在は
誇らしいものだったに違いありません。
 
※いまは南隣の吉成町と合併して
吉成俊成町となっている模様。

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posted by 涌井慎 at 11:37 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月14日

京都の名所旧跡ご紹介63 住吉神社

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大阪の住吉大社ではありません。
醒ケ井通り高辻下ル「住吉神社」です。

その昔、
後白河天皇が藤原俊成さんに
「和歌の神様を
平安京に呼んできてくれへんかな?」と
オーダーしました。

俊成さんが五條室町の地に
摂津国住吉から呼び寄せたのが、
新住吉。いまの住吉神社です。

俊成さんといえば、
後鳥羽上皇にも
「歌道の神様を
平安京に呼んできてくれへんかな?」と
オーダーされ、
和歌山県の玉津島神社から
衣通郎姫という歌道の神様を呼び寄せています。
※烏丸松原にある新玉津島神社

これは何かしら、
俊成さんへの「プレー」なんでしょうか。
しっかり答える俊成さんもすごい。
重用された所以でしょう。知らんけど。

さて、
五條室町の「新住吉」は
和歌所の役人さんなどからも親しまれ、
隆盛を極めますが、
「応仁の乱」の兵火に見舞われ、
社殿は悉く焼失。
永禄11年(1566年)、正親町天皇が
荒廃を惜しみ、現在の場所に再建されました。

その後、二度の火災に遭いますが、
再建され、やがて、
明治32年(1899年)には
冷泉為紀さんの呼びかけで広く寄付を集め、
同じ年、現在の社殿が建立されました。

posted by 涌井慎 at 12:46 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

お願いフルーツ

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先月から
youtubeで「お願いフルーツラジオ」という
番組を配信しております。

タイトルには特に深い意味はありませんが、
Lainy J Groove 渡辺晃氏、浜田淳氏、
私の思い出 登山正文氏、
DJ SHIM TATSUYA 氏という、
なんとも食べごろ熟れごろな
音楽人4人が揃って、
おもろいことを模索しながら、
毎週月曜20時に配信しております。

「模索」すなわち、
いまは「黎明期」とでもいうのでしょうか。
せっかくステキな素材が揃っていますので、
もっといろんな人に見てもらいたい。

メンバーは皆、
京都の表面には出てこない
奥の奥のほうで
おもろいことをやり続けている皆さんです。
なかなか揃わないオットコマエが
試行錯誤を繰り返しながら、
番組を作っております。


よろしければ皆様、
「お願いフルーツ」で検索して、
ぜひ番組をご覧ください。
今夜の第7回は20時配信です。
京都出身のスーパーミュージシャン
フジタユウスケさんをゲストにお迎えします。


まぁ、とにかく、
この写真の人たち、
みんなめっちゃおもろいねん!
みんな見てくれ〜〜!!!


posted by 涌井慎 at 16:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

京都の名所旧跡ご紹介62 本圀寺跡

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1971年(昭和46年)に山科へ移転した
「本圀寺」の跡が、
堀川五条のあたりにあります。
 
「本圀寺跡」には、
「朝鮮通信使ゆかりの地」として
石碑が置かれています。
「朝鮮通信使」は 江戸時代、
日本が朝鮮国から招いた外交使節団です。
寛永13年(1636年)以来、「本圀寺」は、
「朝鮮通信使」の皆さんの定宿となりました。
 
定宿ってのは 
毎回泊まる場所ってことでしょうね。
明訓高校の芦田旅館みたいなもんですね。
「本圀寺」は7回にわたり、
「朝鮮通信使」御一行400名ほどを
宿泊させたそうです。
 
もともとは
「本国寺」という名前だったそうですが、
徳川光圀さんの帰依を受けたことから、
光圀の「圀」を取って、
「本圀寺」となりました。
水戸黄門でおなじみの光圀さんは、
中国や朝鮮の学問に憧れを抱き、
お江戸では「朝鮮通信使」とも
交流していたそうです。
 
「朝鮮通信使」御一行が来られると、
将軍の代わりに京都所司代が
御一行に挨拶をして、
宴でおもてなしをすることになっていました。
 
宝暦14年(1764年)に来られた
金仁謙さんが記録した
『日東壮遊歌』という書物によれば、
当時、「本圀寺」には
相輪をもつ五層の楼門があり、
石や木、竹を配したお庭には
ええ感じの趣があったそうです。
 
※相輪とは・・
五重塔とかの屋根の上に空に向かって
突き出てる金属製の部分があるでしょ?
あれのことです。字で説明するのめちゃ難しい。
 
近隣にある「本圀寺」の塔頭寺院も
「朝鮮通信使」の皆さんのために
使われていたようです。

posted by 涌井慎 at 13:29 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

京都の名所旧跡ご紹介61 善導寺

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二条木屋町にある浄土宗のお寺です。
永禄年間(1558年〜1569年)、
然誉清善(ねんよせいぜん)という和尚さんが、
六角堂の付近に創建しました。
 
しかしながら、
天明8年(1788年)の「天明の大火」で
罹災しまして、
第四世旭誉の頃、
長谷川重兵衛さんの寄付もあり、
現在の場所に移されました。
 
ここまでの登場人物、
全くどんな人やったんかが見えてきません。
 
お堂の前には
「嵯峨釈迦堂」の御本尊の釈迦如来様を
模したという釈迦三尊石仏があります。
高さ1m足らずの扁平な自然石を彫ったもので、
両脇には弥勒菩薩と文殊菩薩がおられます。
弘安元年(1278年)の銘があるということなので、
お寺の創建よりも前に
作られたもののようですね。
 
ちなみに
「善導寺」で検索すると、
予測ワードで「クレープ迷惑」と出てきます。
何かしら?と思ってみてみますと、
福岡県久留米市善導寺町にある
「ル・ボヌール」というクレープのお店が、
とても人気で、お店の駐車場ではないところに
停車するお客さんが続出しているようです。
いま、すでに食傷気味な
“インスタ映え”するクレープが人気のようです。
 
インスタ映えするものに群がる人たちって、
インスタ蠅じゃない?って思っていたのですが、
既にこの言葉は割と市民権を得ているのですね。
私もどこかで見たから思い付いたのでしょうか。
 
胸の内と世の中が
繋がっているのだと実感する瞬間です。

posted by 涌井慎 at 14:06 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月10日

京都の名所旧跡ご紹介60 行願寺

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寺町竹屋町上ルにある天台宗のお寺です。
西国三十三所観音霊場、
第19番札所でもあります。
 
寛弘元年(1004年)、
行円上人によって一条小川に創建されました。
行円さんは 子鹿を身ごもっている母鹿を
射止めてしまったことがあり、
それをずっと悔やんでいました。

どれだけ悔やんでいたか?といいますと、
常にその母鹿の皮を身に纏い、
憐れんでいたため、
人々からは「皮聖(かわのひじり)」と
呼ばれるほどです。

皮聖が創建したお寺なので、
行願寺は通称「革のお堂」と書いて、
「革堂(こうどう)」とも呼ばれています。
なんで「皮」が「革」になったのかは
わかりません。
 
創建以降、おおいに栄えましたが、
度重なる火災のため、
お寺は市内を転々としました。
宝永5年(1708年)の大火の後、
現在の場所へ移されました。

いまある本堂は文化12年(1815年)に
建てられたもので、
堂内には行円さんが作ったとされる
本尊の千手観音像が置かれています。
 
「都七福神めぐり」の一つになっている
寿老人はこの行願寺におられます。
 
ちなみに他は・・
●「東寺」・・「毘沙門天」
●「萬福寺」・・「布袋尊」
●「六波羅蜜寺」・・「弁財天」
●「ゑびす神社」・・「恵比寿」
●「妙円寺」・・「大黒天」
●「赤山禅院」・・「福禄寿」 

都七福神めぐりは新春の行事ですね。
3年ほど前に一度めぐりましたが、
お寺の空気感の違いが面白いです。
萬福寺だけ宇治にあるので、
京都市内からはやや行きにくいですが。。

posted by 涌井慎 at 22:01 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

焼酎ハイボール。

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久しぶりにお弁当をアップした翌日に
投稿を忘れてしまいました。

もともと、
お弁当以外にトピックスなんぞ、
無いわけですが、
日課を飛ばすのは気持ちが悪い。

自宅で飲むときは、
写真の焼酎ハイボールが
私調べによると、
最も安価でそれなりに美味しい。
アルコール界の「サイゼリヤ」なのですが、
昨日、リカーマウンテンへ
買いに行ったらば、
私が一番好きな「ラムネ味」が
なくなっていました。

どういうわけか、
私が好きになったものは、
いつも突然、
私の前から消えてしまう。

出会いも突然、別れも突然。
一期一会を大切にせねばならない、
ということか。。

posted by 涌井慎 at 06:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする