2017年08月24日

京都の名所旧跡ご紹介29 休務寺。

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錦小路大宮を西に入ると南側にあります。
門前に非常に見にくいのですが、
「圓山応挙之師 故法眼 石田幽汀之墓」と
彫られた石碑があります。
 
石田幽汀さん、
私は正直、名前を知りませんでしたが、
圓山応挙のお師さんということは
それなりの絵師だったに違いありません。
圓山応挙さんは 少なくとも、現代においては
石田幽汀さんよりも著名ですからね。
青は藍より出でて藍より青し
ということなんでしょうか。
知らんけど。
 
しかしインターネットというのは
便利なものです。
「石田幽汀」で検索すると、
いろんな情報が出てきます。
その中から信頼できると思われるサイトを開く。
(これが大事)
 
というわけで・・
静岡県立美術館のHPを見てみました。
播州明石郡、現在の明石市魚住町に
橘七右衛門さんの息子として生まれた幽汀さんは
京都の石田半右衛門さんの養子になりました。
※ここまで知っている人、全然出てこない。
 
その後、狩野探幽さん
(知ってる名前出てきた!)の流れをくむ
鶴沢探鯨さんに絵を学びつつ、
琳派風の豊かな装飾性と写生的感覚を融合。
濃彩緻密な画風を得意としたそうです。
↑これ、ラジオやと全く分からんやつや。
 
現代において、
名前がさほど知られていないだけで、
(いや、私が知らないだけかもしれませんが)
当時は 絵師としての才能が
広く認められていたようで、
禁裏(天皇の御住まい)の御用絵師にも
なっておられます。
 
狩野探幽以来の「江戸狩野」の流れや、
写生画派、装飾画派など
多様な展開をみせる
江戸中期の京都画壇にあって、
派と派をつなぐ絵師として
注目されているそうです。

全く名前も知らない人物でしたが、
少なからず知識を得ることができました。
だから京都の街は面白い。
(京都に限らないかもですが)

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posted by 涌井慎 at 18:03 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

NO.764。麦ご飯

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麦ご飯が
すこぶるカラダによろしいということで、
我が家のお弁当にも
取り入れられるようになりました。

白米をこよなく愛する私が
まさか麦ご飯を食すことになろうとは。

白米は美味しい。
しかし、
美味しいがゆえに
近頃は食べすぎるようになっていました。

愛しすぎて、
その愛情が重すぎるという
恋愛の失敗例がありますが、
こちらは物理的に
食べ過ぎてカラダが重くなってしまう。

いやいや、
麦ご飯だって美味しい!
麦ご飯だって美味しいはずや!
いや、実際に美味しかったよ。
しかし、
いつまでも追いかけてしまう、
白米の幻を。

それでも私は言い聞かせる。
いまのパートナーは麦ご飯なのだ。
麦のことをムキになって書いてしまった。

麦になる。
ムキになる。





posted by 涌井慎 at 15:18 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

NO.763。調子悪いときは。

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いまひとつ、
カラダの調子が上がらないとき、
レッドブルもいいんですけど、
やっぱり養命酒が一番のように思います。

最近飲んでませんけど、
今日のお弁当で
その存在を思い出しました。

こうやって、
とても有難いものなのに、
忘れてしまっているものがあるかと思えば、
キライな人間のことは
ずっと心の奥に留まっていてりする。

とても損した気分です。

限られた人生、
我慢するのも大切ですが、
楽しくて面白いことに近づいて、
つまらなくて苦しいことから離れるって、
そんなにいけないことでしょうか。

「ヨ梅イシュ」で、
こんなことを考えさせられる。

つまり、
メッセージとは、
受け取る側によって、
はじめて意味を持つということなのだな。



posted by 涌井慎 at 12:02 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

NO.762。悪魔じゃないよ、シャケだよ。

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サーモン小暮。

果たしてシャケフレークを
「サーモン」と呼んでいいものなのか。。

posted by 涌井慎 at 17:22 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

京都の名所旧跡ご紹介28 冠者殿社

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昨日アップを忘れた分、
本日、二度目の投稿です。

京都の神社仏閣の歴史を調べていると、
次の3パターンのどれかに
当てはまるところが多い。
 
1「平安遷都の際〜」
2「応仁の乱で焼失」
3「豊臣秀吉の命により移転」
※2は「天明の大火」
「蛤御門の変」の場合も多い。

「冠者殿社」は「3」のパターンが出てきます。
 
「冠者殿社」は錦市場にある
豆乳ドーナツのお店みたいな名前ですが、
八坂神社の境外末社です。
ご祭神は八坂神社と同じ「素戔嗚尊」ですが、
コチラに祀られているのは「荒魂」です。
 
藤浪晋太郎を思わせる名前ですが、
この「荒魂」というのは
「和魂」の対となるもの。
「素戔嗚尊」の“おだやかサイド”が「和魂」、
“猛々しいサイド”が「荒魂」です。
「八坂神社」に限らず、どの神社でも、
本社に和魂、別の社殿に荒魂を
祀るところは多いそうです。
 
もともと烏丸高辻にあった
「八坂神社大政所御旅所」に
鎮座していましたが、
天正19年、豊臣秀吉の命により(出た!)、
御旅所が現在の場所に移された際、
現在の「官社殿町」に移され、
さらに慶長のはじめ、
現在の場所にやってきました。
明治45年の「四条通りの拡幅」に伴って、
少し南に下がっています。
 
そんな「冠者殿社」の年中行事といえば
10月20日の「誓文払い」。
商売上の駆け引きで契約を破ったり、
安い品物を高く売って
利益を得ることで感じる
「罪の意識」をお払いし、
商売ができていることに
感謝するためのお祭りです。

つまり、商売人としての「モラル」を
思い出させてくれる神事です。
お金にばかり目が向いていたら、
本質を忘れてしまいがちになります。
そういう人は残念ながら魅力的ではありません。
お金とではなく、
人との対話を楽しみたいものですね。
 
※ちなみにお隣は「四条御旅所」。
いまは 祇園祭「神幸祭」で
八坂神社から3基のお神輿がやってきています。
7月24日の「還幸祭」で
神社に“おかえり”になられます。

posted by 涌井慎 at 20:18 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都の名所旧跡ご紹介27 御金神社

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つい先日、
「毎日アップしないと気持ち悪い」
などと書いておきながら、
昨日アップし忘れたのは私です。

家族旅行in伊勢志摩が楽しすぎました。
 
さて、
それなりにお金を使いましたので、
金運アップの御利益に授かりたい。
というわけで、
西洞院押小路下ルにある「御金神社」です。
「おかね」じゃなくて「みかね」です。
 
ご祭神は 伊邪那岐(いざなぎ)、
伊邪那美(いざなみ)の皇子にあたる
金山毘古神(かねやまひこのかみ)と、
天照大神(あまてらすおおみかみ)、
月読神(つくよみ)。
 
このうち、金山毘古神が、
“金の類”を司る神様です。
明治16年に社殿が建立されて以来、
金神様(こんじんさま)として親しまれています。
 
割と勘違いされている方が多いのですが、
「金」=「MONEY」ではなく、
鉱山・鉱物の神様です。
鏡、刀剣、鋤や鍬など
あらゆる金属類の守り神で、
そのなかでも、通貨としても使用される
金、銀、銅など「お金」のことも
守ってくださる・・ということで、
近年は資産運用の神様として、
証券類、不動産などを扱う業者さんからも
崇められているとか。
ちなみに、金属類の守り神を祀っている神社は
国内唯一、
この「御金神社」だけだといわれています。
 
絵馬を眺めていると、
人の「業」のようなものを強く感じるのは
この「御金神社」と
悪縁切りの「安井金毘羅宮」が双璧ですね。
ストレートに「お金をください」なんて
書いていたりしますからね。
邪念という邪念が置いていかれるからこそ、
神社というのは 鳥居をくぐると
異様な「気」が流れるのでしょうか。
 
2年前の元日だったか。
四条烏丸からタクシーで
コチラへ初詣したのですが、
到着したら、そこには
ビックリするくらいの長蛇の列。
その行列を見て運転手さんが
「金の亡者どもですわ」と言ったのが、
忘れられません。
その金の亡者どもの最後尾に
並ぼうとする私たちに対して!
 
ちなみに私、この初詣の際、「福財布」を購入。
境内に落ちてた
「金運アップ」の御利益があるとされる
イチョウの葉っぱをこの財布に入れております。
いまのところ、ご利益にはあやかれていない。

posted by 涌井慎 at 13:08 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

京都の名所旧跡ご紹介26 西福寺。

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本日より、
夏季休暇をいただきましたため、
私、職場に行きません。
つまり、お弁当もありません。

家族でスペイン村に来ておりますが、
いつものように
お弁当のない日は
京都の名所旧跡をご案内します。

「京都 西福寺」で検索すると、
「京都府周辺の西福寺に関する情報」で、
9つも「西福寺」が出てきます。
今回ご紹介するのは
二条城近くにある「西福寺」です。
暇があれば「西福寺巡り」したいな。
 
門の近くには
「豊臣秀吉妙顕寺城跡」の石碑があります。
このあたりは 
秀吉さんの妙顕寺城があったようです。
妙顕寺というのは 鎌倉時代後期、
日像さんが、はじめて京都に建立した
日蓮宗のお寺です。
たびたび移転していますが、
戦国時代にはこのあたりにありました。
 
のちに、秀吉さんは妙顕寺を
小川寺之内に移転させたあと、
コチラにお屋敷を建て、聚楽第を造るまで、
京都の政庁としました。
周囲に堀をめぐらし、天主があったそうなので、
お屋敷というよりは
「城」と呼ぶほうがふさわしいかもしれません。

秀吉さんが天下を握ってゆくまでの
重要な政治的拠点でした。
お城があったなんて
想像もつかない街並みですが、
西福寺のあるあたりが「古城町」というのは
名残と思われます。
 
さて、さらに時代は遡り、
平安時代から鎌倉時代初期にかけて、
西洞院通り、押小路通り、
油小路通り、二条通りに囲まれた地域は、
藤原家の邸宅がありました。
当初は藤原冬嗣さんの邸宅でしたが、
11世紀初期、藤原公季さんが受け継いでから、
「閑院」と呼ばれるようになりました。
 
高倉天皇の時代には 
大内裏が甚だしく荒廃したため、
この閑院邸が、
里内裏(臨時に設けられる皇居)として利用され、
その後も9代90年余りの間、
里内裏となっていましたが、
1259年に火災で焼失したそうです。
 
藤原氏が邸宅を構え、歴代天皇が里内裏とし、
のちには豊臣秀吉が政治的拠点としたという、
そんな場所が江戸幕府の盛衰を見守り続けた
二条城の片隅にひっそりと、
いまはお寺になっているなんて。
 
盛者必衰、驕れる者は久しからず。
しかし、庶民感覚でいうと、
必衰でも久しからずでもいいから
一度くらい盛者になりたいやね。

posted by 涌井慎 at 16:37 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする