2017年08月04日

NO.756。何のためにもならんお弁当。

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情けは人のためならず。

誤って認識されているコトワザ
ナンバー1ですね。

でも、情けをかけても、
その人のためにはならない。
というのもよくある話だと思います。

逆に回りまわって
自分のためになるっていう実感が
あまり湧かない世の中だから
誤用が増えるのでしょうか。

そんな世界はイヤです。
我々が草の根の運動を続け、
少しずつ、
「情けは人のためならず」が
誤用されない世の中に変えていかねば。

そんな運動の一助には
なるはずもない我が家のお弁当。
毎日、まめまめしいです。
ほんまにありがたいことです。

お弁当も私のためならずかもしれません。


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posted by 涌井慎 at 15:31 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

京都の名所旧跡ご紹介18 東本願寺

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木曜日はお弁当がありません。
最近、こっちの方が多い気がしますが。。

実家が浄土真宗大谷派なので、
他のどのお寺や神社よりも親近感があります。
浄土真宗大谷派 本山「東本願寺」。

なんというか、お家のような感じ。
小学生の頃、コチラにお泊りして
廊下を掃除したり、
仏教のことを教えてもらったりしたことも
あります。
 
親鸞聖人が亡くなった後、
親鸞聖人を慕う多くの方々によって、
親鸞聖人を葬った場所に
「御真影」(肖像画)を置く
廟堂が建てられました、
これが東本願寺の始まりです。
 
親鸞聖人は 師の法然上人との出会いを通して、
「生死出ずべきみち」、
すなわち、人として生きる意味を失い、
生きる意欲もなくしてしまった人々にも
生きることの真の意味を見出すことのできる
「よりどころ」を見出しました。
それは「南無阿弥陀仏」、
本願念仏の道なんです。
 
私は 小学生の頃、夏休みはラジオ体操のあと、
近所のお寺へ行って、
「正信偈(しょうしんげ)」っていう
親鸞聖人の教えが詩になったもの、
(厳密にいうとちょっと違うかもしれません)を
毎日読みあげておりました。
 
なんとなくの感覚でしか言えないのですが、
親鸞さんの教えは あまり高貴な感じがせず、
市井の人たちにもわかりやすく
優しいイメージがあります。知らんけど。
 
懐かしい気持ちと
初心に帰りたいという想いもあり、
東本願寺で「正信偈」を買って
夜に読んでみると、
思った以上に心が落ち着きました。
こういう場所があるって大事なことですね。
 
子供の頃にはわからなかったことに
こうして気づくことがある。
気づけるのは きっと、よくわからないままに
子供の頃、読んでいたからです。

中学とか高校の頃に京都に修学旅行に行っても、
なんにも良さなんかわからんという声を
よく聞きますが、
行ってなかったら大人になっても
良さはわからないのかもしれません。
人生を「線」で考える教育なんでしょう。

posted by 涌井慎 at 20:26 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

京都の名所旧跡ご紹介 17 高山寺

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本日、夏休み中の長男と
京都市交響楽団のコンサートへ。
0歳児から楽しめるコンサートで、
料金は800円!

800円で京都市交響楽団のオーケストラを
しかも広上淳一さんの指揮で見られるなんて!
α-STATION DJ川原ちかよさんと
広上さんの軽妙なトークも面白かった。

0歳児じゃなくても、
37歳児にとっても、
めちゃくちゃ贅沢で
コスパ最高の企画でした。

というわけで。
本日、お弁当がないので、
京都の名所旧跡案内です。

「鳥獣戯画」で有名な
栂尾にある「高山寺」ではありません。
西大路四条北東角の交番のお隣にある
「高山寺」です。
 
お寺のある場所には 平安時代前期、
淳和天皇が住まう淳和院がありました。
東西230m、南北250m、池に面した
それはそれは華麗な御所であったそうです。
仁明天皇に譲位された淳和天皇
(譲位された時点で「上皇」かな)は、
コチラに当時の文人たちを招き、
宴を開いていたとされています。
 
「淳和院」は別名「西院」と呼ばれていました。
いま、あの辺りが「西院」と呼ばれる所以です。
いまの「西院」には 
貴族たちの遊び場だったという
雅な雰囲気は残されていませんが、
「阪急西院駅」のすぐ近くに
鳥料理をリーズナブルに楽しめるお店があり、
ここで「貴族」が遊んでいたことを思わせる
店名になっています。
 
そんな西院にある「高山寺」。
御本尊は“安産”の御利益で親しまれている
「子安地蔵」様です。
足利尊氏さんが近江の堅田にあったお地蔵様を
コチラに移したといわれています。
のちに足利義政夫人の日野富子さんも
お参りして、義尚を生みました。
 
時は経ち、江戸時代。
この頃、「西院」は
「サイ」と呼ばれていました。
この「サイ」が“三途の川の河原”を意味する
「賽の河原」の「サイ」に通じることから、
「賽の河原」=「西院」と
考えられるようになりました。
 
当時、「賽の河原で大勢の小さな子供たちが、
亡き親を偲んで瓦の石で塔を積んでいると、
地獄の鬼が出てきて
鉄棒で塔を崩してしまうのだが、
このときにお地蔵さんが現れて、
子供たちを助けてくれる」
という内容の歌があったそうです。

この歌の「賽の河原」が「西院」。
「お地蔵様」が「高山寺」におられる
「子安地蔵」だと考えられるようになりました。


posted by 涌井慎 at 16:50 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

NO.755。だから何やねん。

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私はこういう
「だから何やねん!?」っていう
お弁当が大好きです。

シャケンギレ。

車検切れなんはわかりますけど、
だから何やねん。

答えはまだない。

posted by 涌井慎 at 18:18 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

NO.754。ウナギ食べたい

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今年は夏の土用の丑の日が
二回、やってきます。

7月25日と8月6日です。
25日はウナギを食べられませんでした。
8月6日もウナギは食べられないでしょう。

二回の丑の日の間に
お弁当にはウナギの振りかけが
入っていました。
「ユウナギ」です。

海風と陸風の間の無風状態。
丑の日と丑の日の間の振りかけ。
せっかくのウナギなのに
何の振りかけか、教えてもらうまで
ウナギだとわからなかったのが悲しい。



posted by 涌井慎 at 19:25 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

京都の名所旧跡ご紹介16 平安神宮

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日曜日はお弁当がありません。
京都の名所旧跡ご案内にお付き合いください。
 
平安遷都1100年を記念して、
明治28年、平安遷都を行った
桓武天皇をご祭神として創建された平安神宮。
京都を代表する神社ですが、
意外に歴史は浅いのです。
 
下鴨神社や上賀茂神社が、
「あら、平安神宮さん、
できてから100年ちょっとしか経ってへんのに
えらいおっきい顔してはるなぁ」と
心の中で失笑しているとかいないとか。
知らんけど。
 
創建された当時の京都は 
幕末の戦乱で市街地が荒れはてていました。
追い打ちをかけるように明治維新で
首都が“事実上”東京へ遷ったことが、
京都に住まう人々に大打撃を与えました。
(※参考:平安神宮HP。
「事実上」というところに
京都の人々のプライドが垣間見えます。)
 
そんななか、京都では 
あらゆる復興事業が展開され、
平安神宮も 千年以上栄え続けた
雅やかな京都を伝えるために創建されました。
昭和15年には 
平安京最後の天皇、孝明天皇が
合わせて祀られています。
 
社殿は 桓武天皇が開かれた
当時の平安京の正庁にあたる
朝堂院が8分の5の規模で再現されています。

私はてっきり、平安京自体、
このあたりにあったものと
思っていた時期もあったのですが、
当時の大内裏があったのは
いまの千本丸太町あたりです。

実際、平安神宮も 
千本丸太町に創建する計画があったそうですが、
用地買収に失敗して、
岡崎に創建されることになりました。
 
写真の大鳥居は平安神宮の、
いや、岡崎界隈のシンボル的存在ですね。
コチラは昭和天皇の大礼が
京都で行われたのを記念して、
昭和4年に竣工しました。
鉄筋コンクリート造りで高さは24.4mあります。
 
そして「平安神宮」といえば、やはり、
明治時代の代表的な日本庭園として知られる
神苑でしょう。
社殿を取り囲むように
東、中、西、南の四つのお庭からなっています。
総面積は約1万坪(東京ドーム1個分)で、
7代目小川治兵衛らが手がけました。

川端康成さんの『古都』にも登場する
紅枝垂れ桜が有名ですが、
四季折々に美しい表情を見せてくれます。

posted by 涌井慎 at 21:37 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

京都の名所旧跡ご紹介15 青蓮院

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土曜日はお弁当がありませんので、
京都の名所旧跡ご案内です。
 
地下鉄東山駅から歩いて5分ほど、
粟田口にある「青蓮院門跡」。
京都市の天然記念物に指定されている
門前の大きなクスノキが目印です。

「三千院」「妙法院」
「曼珠院」「毘沙門堂」とともに
天台宗の「京都五ヶ室門跡」の一つに
数えられています。
 
平安時代末期から、明治にかけて、
親王や王が出家して、
コチラの門主(住職)になっていました。
このため、
「粟田口にある御所」といった意味合いで、
「粟田御所」とも呼ばれています。
江戸時代の「天明の大火」で
御所が炎上した際は
「後桜町上皇」が住まう仮御所にもなりました。
 
※炎上といってもアルバイト中に
冷蔵庫の中に入って写真を撮影したり、
14歳の棋士の顔マネをしたりしたわけではない。
 
境内にある茶室「好文亭」は
「後桜町上皇」が、
学問所としてお使いになった
由緒正しい建築物です。

ただ、京都府警察および
青蓮院のHPを見てみますと、
この建物は平成5年、沖縄植樹祭に反対する
極左暴力集団によるゲリラ事件の被害で焼失。
のちに焼失前の図面や
青蓮院に所蔵されている
創建当初の平面図を基に、
平成7年、江戸時代の本格的数寄屋作りを
忠実に再現して竣工しました。
木材等の材質も全く同じで、
完全復元されたそうです。
 
将軍塚の飛び地境内にある「青龍殿」には、
日本三不動の一つ「青不動」
(青不動明王二童子像)が置かれています。
平安時代中期11世紀頃に
製作されたとされていて、
日本の仏教絵画史の最高傑作の一つです。
いつ、どういうタイミングで観たのか?
忘れましたが、この青不動さんは 
とにかく見た目に怒りが満ち満ちております。
 
ただ、ラッシュアワーに
駅員に悪態をついているおじさんのような
自分の苛立ちを発散させたい系の怒りではなく、
(当たり前か。)
虚栄心とか小さなプライドとかを
喝破されるような鋭い眼差しです。
一点の曇りもない
孫悟空のような心であの青不動を眺めたら、
ひょっとしたら満面の笑顔を
見せてくれるのかもしれません。
※「青不動」は普段は非公開です。

posted by 涌井慎 at 20:33 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする