2018年02月03日

壬生寺の節分会

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壬生寺の節分で、
今年は焙烙奉納できました。
ほんまは漢数字で書くんやんな、たぶん。

子供たちは
門前の人の多さに嫌気がさしたらしく、
結局、私一人でお参りしました。

今年も何事もなく、
平穏無事に暮らしたいものです。

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posted by 涌井慎 at 16:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

NO.829 白土三平

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白土三平さんといえば、
私は「サスケ」しか読んだことがなく、
長男の名前はこの「サスケ」から
拝借したというわけではないんですが、
「サスケ」といいます。

「カムイ伝」は読んでみたいと思いつつ、
いままで縁がありませんでした。
まさか、「ハムイ伝」を先に
食べることになるとは。

いつか読みたいカムイ伝。

posted by 涌井慎 at 13:31 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

京都の名所旧跡ご紹介100 本妙寺

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仁王門東大路東入ルにある日蓮宗のお寺です。
鎌倉時代末期、正和4年(1315年)、
日像さんが「渡辺氏」の帰依を受けて
創建しました。
 
渡辺氏とだけ書かれていても正直、
私にはどの渡辺氏かわかりかねるのですが・・
 
創建後ほどなくして、
焼失か何か、とにかく無くなってしまい、
再建されたのは創建から250年以上経った
天正2年(1574年)のことです。
 
しかし、せっかく再建されましたが、
今度は江戸時代、宝永の大火(1708年)で
またもや焼失。
享保13年(1728年)に日正さんによって
再建されました。
現存する本堂は この時に再建されたものです。
 
そんな「本妙寺」といえば別名「義士の寺」。
忠臣蔵ゆかりのお寺ですね。
主君・浅野内匠頭の恨みを晴らすべく、
赤穂四十七士が
吉良上野介の邸宅に討ち入るお話です。
めちゃくちゃ簡単に書きましたが、
これでもドラマにすると2時間を超えます。
 
本妙寺の境内には、
赤穂義士の吉田忠左衛門さん、
吉田沢右衛門さん、
貝賀弥左衛門さん夫妻らのお墓があるんです。
貝賀さんの槍や
義士たちの手紙なども奉納されていて、
四十七士の木像も置かれています。

posted by 涌井慎 at 15:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

京都の名所旧跡ご紹介99 西方寺

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東大路二条下ルにあるお寺です。
はっきり言って全く目立たないお寺ですが、
2009年、京都古文化保存協会主催する
非公開文化財特別公開では
かなり注目を浴びていたようです。
 
というのも、
この特別公開では
秘仏・阿弥陀如来坐像が初公開されたからです。
西方寺のご本尊で重要文化財にも
指定されている阿弥陀如来坐像。
とても立派な佇まいだということで、
仏像ファンがざわついていたようです。
 
こういう普段、全くと言っていいほど
注目されていない場所に
ものすごい貴重な文化財がある・・
というところに
ロマンを感じます。
能ある鷹は爪隠す的なロマン。
 
お寺のある東山二条や岡崎の界隈は、
平安時代末期、六勝寺
(「勝」という字が付いた6つのお寺の総称)が
立ち並び、院政の舞台となっていました。
西方寺の阿弥陀如来坐像は
その六勝寺の一つ
「法勝寺」にあったものとされています。
 
2009年に特別公開が行われていたことは
確認できましたが、
その後のことは
インターネットでは確認できず・・。
今度はいつ公開されるのでしょうか。

posted by 涌井慎 at 14:33 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月30日

チェルフィッチュ「三月の五日間」

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チェルフィッチュ「三月の五日間」。
ロームシアター京都にて。

「間」と「言葉」と「動き」と。
そのなかに私はどうしても、
小刻みに「笑い」が欲しくなるのですが、
それがあるわけではなく、
なんしか、いままで観たことないものを
目の当たりにしまして、
偏った感覚とか価値観のなかで、
生きていることを痛感しましたわ。

知らずうちに暮らしのなかで、
余計なものを排除していて、
その排除しているもののなかに、
実はすごく、排除したら
もったいないものがあるのだと、
漠然とそんなことを思った次第であります。

いや、ええもん観させてもらいました。
全く観劇のレビューになってないけどな。

posted by 涌井慎 at 21:34 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月29日

NO.828 毎日毎日僕らは

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およげ!たいやきくんの歌詞について、
以前、松本人志さんが話しておられました。

最後に「おじさんがうまそうに僕を
食べたのさ」としめくくられるんですが、
ほんなら、ここまで誰が歌っててん?
みたいな話やったんですが、
ほんまにその通りで、
目の付け所が流石やなぁと
思ったのを覚えています。

歌っている子門真人さんは誕生日が一緒です。

だから何といわれればそれまでですが。

お弁当は「いもん真人」です。

だから何といわれればそれまでですが。



posted by 涌井慎 at 15:40 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月28日

京都の名所旧跡ご紹介98 妙伝寺

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東大路二条下ルにある妙傳寺は
文明9年(1477年)、
日意さんによって創建された
日蓮宗の本山で京都八本山の一つです。
 
もとは京都一条尻切屋町に建立され、
身延(山梨県)から
日蓮さんの御真骨を分骨奉安します。
あまり馴染みのない言葉ですが、
おそらく身延にあった
日蓮さんのお骨の一部を
譲り受けたということでしょう。
 
同時に身延七面山におられる
七面天女と同木同体の霊体を安置しました。
あまり馴染みのない言葉ですが、
おそらく七面天女と
同じ木で作られたご神体を
安置したということでしょう。
 
このため、西の身延・・「西身延」と呼ばれ、
関西より西の日蓮宗の信者さんたちは
こぞって参拝されていましたが、
天文5年(1536年)に起こった
天文法難(宗教一揆)のため、
焼失してしまいました。
 
天文10年(1541年)には
西洞院に再興しましたが、
天正19年(1591年)、
豊臣秀吉さんの命によって、京極二条に移転。
その後、日恵上人の尽力などにより、
隆盛しますが、
宝永5年(1708年)、宝永の大火が起こり、
またもや焼失。
さらに時は流れ、
日義上人が現在の場所に再興したそうです。
 
と、波乱万丈の歴史を持つ妙傳寺。
現在は毎年、あることによって
必ずクローズアップされるのですが、
何かわかります?

年末恒例、南座で行われる
「吉例顔見世興行」の役者さんの名前を書く
「まねき書き」の舞台がコチラ
「妙傳寺」なのです。
 
ちなみに吉例顔見世興行、
昨年は妙傳寺の近く、
ロームシアター京都が会場でした。

posted by 涌井慎 at 09:41 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする