2017年11月17日

京都の名所旧跡ご紹介66 六波羅蜜寺

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かつて平家の館があったり、
鎌倉幕府には「六波羅探題」が置かれたり、
源氏と平家の盛衰をみてきた場所
「六波羅」にある「六波羅蜜寺」。
 
天暦5年(951年)、
当時流行していた疫病を治めるべく、
空也上人によって開かれた
真言宗智山派のお寺です。
西国三十三か所観音霊場
第十七番札所でもあります。
本尊は空也上人が刻んだとされる
十一面観音立像です。
 
空也上人といえば、
口から煙を吐くことで有名ですが、
醍醐天皇の第二皇子で、若くして出家し、
喜び踊りながら
念仏を唱えたことで知られています。
今に伝わる六斎念仏の始祖でもあります。
 
天皇の第二皇子でありながら、
決められたレールを生きるのを避け、
自分の信じる道を進んだ空也上人。
反対もあったんでしょうね。
知らんけど。
 
宝物館には 定朝さん作とされる地蔵菩薩立像、
あの有名な煙を吐いてる空也上人立像、
平清盛座像など、
数多くの重要文化財が置かれています。
境内にある「十輪院」が
仏師・運慶一族の菩提寺だったことから、
運慶・湛慶座像も所蔵しています。
 
ちなみに
「六波羅蜜」というのは 
この世に生かされたまま、
悟りの世界に至るための6つの修行のことです。
「布施」「持戒」「精進」
「忍辱」「禅定」「智慧」の6つです。
 
悟りなんて開かなくてもいいやって思いますね。

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posted by 涌井慎 at 23:11 | Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

京都の名所旧跡ご紹介65 明王院不動寺

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松原通り麩屋町東入ルにある
真言宗東寺派のお寺です。

平安遷都より前、持統天皇5年(691年)、
道観大徳さんという方が開いた
法相宗のお寺でしたが、
のちに弘法大師さんが
自作の「石仏不動明王」を置いたため、
真言宗東寺派に改められたそうです。
恥ずかしながら
法相宗のことを知りませんでした・・。
 
やがて桓武天皇が平安遷都するわけですが、
この際、天皇は王城鎮護のため、
平安京の東西南北、四つの磐座(いわくら)に
経文を記した巻物を収めました。
明王院は その四岩倉の一つで
「南岩倉」といわれています。
 
947年から957年の天暦年間に
賀茂川の氾濫のため、流されてしまい、
その後、再建されてからも、応仁の乱で荒廃。
弘法大師さんお手製の石像も
塵芥に埋もれてしまいました。
 
ここで登場するのが豊臣秀吉さん。
1573年から1592年の天正年間、
聚楽第の造営に際し、
ここから苔むした不動明王を得て、
聚楽第に収めたところ、
夜な夜な不思議な光を放ったため、
これはただごとではない!となり、
お堂を建て、不動明王を再び、
お祀りしたのだそうです。

この夜な夜な放たれた
不思議な光の正体こそが
LEDだといわれています。


嘘です。

posted by 涌井慎 at 15:32 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月15日

京都の名所旧跡ご紹介64 俊成社

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烏丸松原の角、
ホテルの一角にある小さな小さな祠です。

天皇に請われて和歌の神様を
平安京に呼び寄せるのが得意技、
平安時代末期の歌人、
藤原俊成さんを祀る俊成社です。
 
これまでにも新玉津島神社や
住吉神社を紹介した際、名前が出てきました。
藤原俊成さんは
勅撰集の千載和歌集の選者として有名です。
邸宅が五条通り(現在の松原通り)にあったため、
「五条三位」と呼ばれていました。
この界隈に「俊成町」の名前が残るのも、
もちろん藤原俊成さんが由来です。
 
平家物語には西国へ都落ちする平忠度さんが、
和歌の師匠と仰いでいた
俊成さんの邸宅を訪れるシーンがあります。
 
一度は西国へと出発した忠度さんが引き返して、
「勅撰集に一首でも入れてくださったら、
遠いあの世からお守りいたします」と、
なんと100を越える和歌を
俊成さんに託したのでした。
 
俊成さんは 忠度さんの和歌のなかから、
「さざなみや 志賀の都はあれにしを
むかしながらの 山ざくらかな」をセレクト。
あえて“読み人知らず”として選んだそうです。
 
俊成さんの邸宅は諸説あるものの、
現在の烏丸松原一帯にあったとされています。
「俊成社」は 後世の人によって、
俊成邸跡の印として、
民家の裏庭にこじんまりと建てられました。

この一帯が「俊成町」と改められたのは
江戸時代後期。
当時、因幡堂前町の人々が
奉行所に願い出て認められたそうです。
地元の人たちにとって、
俊成さんの存在は
誇らしいものだったに違いありません。
 
※いまは南隣の吉成町と合併して
吉成俊成町となっている模様。

posted by 涌井慎 at 11:37 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月14日

京都の名所旧跡ご紹介63 住吉神社

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大阪の住吉大社ではありません。
醒ケ井通り高辻下ル「住吉神社」です。

その昔、
後白河天皇が藤原俊成さんに
「和歌の神様を
平安京に呼んできてくれへんかな?」と
オーダーしました。

俊成さんが五條室町の地に
摂津国住吉から呼び寄せたのが、
新住吉。いまの住吉神社です。

俊成さんといえば、
後鳥羽上皇にも
「歌道の神様を
平安京に呼んできてくれへんかな?」と
オーダーされ、
和歌山県の玉津島神社から
衣通郎姫という歌道の神様を呼び寄せています。
※烏丸松原にある新玉津島神社

これは何かしら、
俊成さんへの「プレー」なんでしょうか。
しっかり答える俊成さんもすごい。
重用された所以でしょう。知らんけど。

さて、
五條室町の「新住吉」は
和歌所の役人さんなどからも親しまれ、
隆盛を極めますが、
「応仁の乱」の兵火に見舞われ、
社殿は悉く焼失。
永禄11年(1566年)、正親町天皇が
荒廃を惜しみ、現在の場所に再建されました。

その後、二度の火災に遭いますが、
再建され、やがて、
明治32年(1899年)には
冷泉為紀さんの呼びかけで広く寄付を集め、
同じ年、現在の社殿が建立されました。

posted by 涌井慎 at 12:46 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

お願いフルーツ

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先月から
youtubeで「お願いフルーツラジオ」という
番組を配信しております。

タイトルには特に深い意味はありませんが、
Lainy J Groove 渡辺晃氏、浜田淳氏、
私の思い出 登山正文氏、
DJ SHIM TATSUYA 氏という、
なんとも食べごろ熟れごろな
音楽人4人が揃って、
おもろいことを模索しながら、
毎週月曜20時に配信しております。

「模索」すなわち、
いまは「黎明期」とでもいうのでしょうか。
せっかくステキな素材が揃っていますので、
もっといろんな人に見てもらいたい。

メンバーは皆、
京都の表面には出てこない
奥の奥のほうで
おもろいことをやり続けている皆さんです。
なかなか揃わないオットコマエが
試行錯誤を繰り返しながら、
番組を作っております。


よろしければ皆様、
「お願いフルーツ」で検索して、
ぜひ番組をご覧ください。
今夜の第7回は20時配信です。
京都出身のスーパーミュージシャン
フジタユウスケさんをゲストにお迎えします。


まぁ、とにかく、
この写真の人たち、
みんなめっちゃおもろいねん!
みんな見てくれ〜〜!!!


posted by 涌井慎 at 16:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

京都の名所旧跡ご紹介62 本圀寺跡

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1971年(昭和46年)に山科へ移転した
「本圀寺」の跡が、
堀川五条のあたりにあります。
 
「本圀寺跡」には、
「朝鮮通信使ゆかりの地」として
石碑が置かれています。
「朝鮮通信使」は 江戸時代、
日本が朝鮮国から招いた外交使節団です。
寛永13年(1636年)以来、「本圀寺」は、
「朝鮮通信使」の皆さんの定宿となりました。
 
定宿ってのは 
毎回泊まる場所ってことでしょうね。
明訓高校の芦田旅館みたいなもんですね。
「本圀寺」は7回にわたり、
「朝鮮通信使」御一行400名ほどを
宿泊させたそうです。
 
もともとは
「本国寺」という名前だったそうですが、
徳川光圀さんの帰依を受けたことから、
光圀の「圀」を取って、
「本圀寺」となりました。
水戸黄門でおなじみの光圀さんは、
中国や朝鮮の学問に憧れを抱き、
お江戸では「朝鮮通信使」とも
交流していたそうです。
 
「朝鮮通信使」御一行が来られると、
将軍の代わりに京都所司代が
御一行に挨拶をして、
宴でおもてなしをすることになっていました。
 
宝暦14年(1764年)に来られた
金仁謙さんが記録した
『日東壮遊歌』という書物によれば、
当時、「本圀寺」には
相輪をもつ五層の楼門があり、
石や木、竹を配したお庭には
ええ感じの趣があったそうです。
 
※相輪とは・・
五重塔とかの屋根の上に空に向かって
突き出てる金属製の部分があるでしょ?
あれのことです。字で説明するのめちゃ難しい。
 
近隣にある「本圀寺」の塔頭寺院も
「朝鮮通信使」の皆さんのために
使われていたようです。

posted by 涌井慎 at 13:29 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

京都の名所旧跡ご紹介61 善導寺

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二条木屋町にある浄土宗のお寺です。
永禄年間(1558年〜1569年)、
然誉清善(ねんよせいぜん)という和尚さんが、
六角堂の付近に創建しました。
 
しかしながら、
天明8年(1788年)の「天明の大火」で
罹災しまして、
第四世旭誉の頃、
長谷川重兵衛さんの寄付もあり、
現在の場所に移されました。
 
ここまでの登場人物、
全くどんな人やったんかが見えてきません。
 
お堂の前には
「嵯峨釈迦堂」の御本尊の釈迦如来様を
模したという釈迦三尊石仏があります。
高さ1m足らずの扁平な自然石を彫ったもので、
両脇には弥勒菩薩と文殊菩薩がおられます。
弘安元年(1278年)の銘があるということなので、
お寺の創建よりも前に
作られたもののようですね。
 
ちなみに
「善導寺」で検索すると、
予測ワードで「クレープ迷惑」と出てきます。
何かしら?と思ってみてみますと、
福岡県久留米市善導寺町にある
「ル・ボヌール」というクレープのお店が、
とても人気で、お店の駐車場ではないところに
停車するお客さんが続出しているようです。
いま、すでに食傷気味な
“インスタ映え”するクレープが人気のようです。
 
インスタ映えするものに群がる人たちって、
インスタ蠅じゃない?って思っていたのですが、
既にこの言葉は割と市民権を得ているのですね。
私もどこかで見たから思い付いたのでしょうか。
 
胸の内と世の中が
繋がっているのだと実感する瞬間です。

posted by 涌井慎 at 14:06 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする