2017年11月29日

京都の名所旧跡ご紹介74 平野神社

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母校立命館大学では 今はどうか知りませんが、
私の入学した当時は 
入学前に同じ学科の先輩たちと
挨拶代わりにお花見をするような
システムがあり、
衣笠にある この平野神社が
会場となっていました。
 
平野神社といえば、
京都屈指の桜の名所ですからね。
古くから、各公家伝来の桜が奉納されたため、
境内には約50種、
約400本の桜が植えられていて、
特に夜、灯りに照らされる姿が美しいことから、
「平野の夜桜」として親しまれています。
 
平野神社が大学の近くになければ、
先輩たちとの会も 
お花見にはならなかったでしょう。

知らんけど。
 
そんなわけで、私の京都での思い出といえば、
“最初”は平野神社だったのです。
京都童貞だった私は
平野神社で筆おろししたわけだ。
 
それなのに、私は
平野神社のことを知らなさすぎるから、
いまさらながら、駒札を見て、
通り一遍の知識を入れてみた。

平野神社は平安遷都に伴って、
奈良の平城京から、
いまの場所に移された神社です。
平安時代中期には
伊勢、上賀茂・下鴨、岩清水、
松尾に次ぐ名社に数えられていました。
 
歴代の朝廷に大変厚く崇敬され、
源氏や平家とはじめ
諸氏の氏神としても崇められたそうです。
重要文化財にも指定されている本殿は、
寛永年間(1624年〜1644年)に
建築されたもので、詳しいことは端折りますが、
「平野造り」とか
「比翼春日造り」と呼ばれています。
 
私のほかにも、「はじめて」が
「平野神社」だった人は多いんじゃなかろうか。

たまには桜の時期以外にも会いにいかねば。

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posted by 涌井慎 at 15:26 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

京都の名所旧跡ご紹介73 大将軍八神社

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一条通り御前西入ルにある「大将軍八神社」。
近所の「大将軍」という地名は
「たいしょうぐん」ですが、
コチラの神社は
「だいしょうぐんはちじんじゃ」と読みます。
「大」が濁るんです。
 
「大将軍八神社」は平安建都の際、
都の方除けの守り神として
造営されたのが始まりとされています。
当初は「大将軍堂」と呼ばれていましたが、
江戸時代初期に「大将軍社」と改められて、
さらに「大将軍八神社」と改められ、
現在に至ります。
 
「大将軍」というのは、
坂上田村麻呂や源頼朝、
足利尊氏などのことではなく、
「陰陽道」でいう「星野天大将軍」のことです。
 
「星野天大将軍」は“方位”を司る神様らしく、
このため、「大将軍八神社」は、
移動、旅行、そして建築など、
方角に関わる厄除けの神様として、
親しまれ、時々の権力者たちにも
厚い待遇を受けていた模様です。
 
方角に関わる厄除けで
「建築」というキーワードが出てくるあたり、
「鬼門」という言葉もあるように、
建築の際、方角を気にかける風習が
古くから存在していたことが、
よくわかりますね。

知らんけど。
 
境内にある「方徳殿」には、
80体もの「大将軍神像」がおさめられていて、
重要文化財に指定されています。
あと、陰陽道といえば・・
そうです。コチラの神社にも、
あの安倍晴明さんの子孫から伝えられたという
天文学や暦に関する資料が残されています。
 
独特の空気を纏う神社です。

posted by 涌井慎 at 22:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

京都の名所旧跡ご紹介72 地蔵院

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西大路一条、
いわゆる妖怪ストリート、
西側入口あたりにある「地蔵院」。
浄土宗のお寺で通称は「椿寺」です。
 
もとは「行基」さんが、
「聖武天皇」の勅願によって、
摂津国の昆陽野池の畔に建立した
「地蔵院」が始まりだとされています。
 
「行基」、懐かしいですね。
小学生の社会の教科書に出てきたはずです。
確か東大寺の大仏さんを作った
立役者じゃなかったかな。
「地蔵院」の境内にある地蔵菩薩様も
行基さんが作ったものとされています。
 
そんな「行基」さんが
摂津国に建てた「地蔵院」は、
平安時代、衣笠山の麓に移されましたが、
室町時代の初期、戦災で焼失しました。

その後、
一休さんにしてやられるイメージの強い、
室町幕府3代将軍・足利義満さんが、
あの金閣寺を建立した際、
余った財産で再建したそうです。
 
こんなパターンがあるのですね・・。
 
その余った財産のおかげで建てられた地蔵院は、
天正17年(1589年)、
豊臣秀吉さんの命によって、
いまの場所に移されました。
御土居の建築を始める2年前くらいなので、
御土居建築に邪魔やったから
動かしたんですかね。知らんけど。
 
さて、冒頭、
「地蔵院」は通称「椿寺」だとご紹介しました。
書院の前庭には 豊臣秀吉さんが、
「北野大茶湯」という盛大な茶会を、
近くの北野天満宮で行った縁で、秀吉さんから、
五色八重散椿が寄進されたそうです。
 
この椿は惜しくも
枯れて失くなってしまいましたが、
現在は樹齢120年を越える“二世”が、
本堂前に花を咲かせています。

とはいえ、見ごろは3月頃なので、
今は咲いていません、悪しからず。

posted by 涌井慎 at 23:31 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする