2017年07月20日

京都の名所旧跡ご紹介11。八坂神社

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木曜日はお弁当がないので、
京都のラジオ局のディレクターらしく、
京都の名所旧跡をご案内いたします。
今回は八坂神社です。

四条通り、東の突き当りにある「八坂神社」。
写真の西楼門が全国的に有名ですが、
八坂神社の「正門」は
この西楼門ではありません。
八坂神社の本殿は南向きなので、
境内南側にある「南楼門」が「正門」です。

 長い歴史をもつ神社なので、
創建については諸説ありますが、
平安遷都より昔、
656年に高麗からやってきた使節の方が、
新羅国の牛頭山におられた
素戔嗚尊をお祀りしたのが
その始まりだといわれています。
(さっきも書いたけど諸説あり)

「祇園祭」は 「八坂神社」の祭礼。
お祭りの期間中、
街のいたるところで目にする
「蘇民将来子孫也」と書かれたお札は、
素戔嗚尊にまつわる逸話が由来になっています。

その昔、素戔嗚尊が南海に旅をされた際、
湯上谷、門田、バナザードといった選手は
まだ在籍しておらず、
辺りで一番お金持ちの「巨旦将来」という人物に
宿を請いましたが、「巨旦将来」は
「うちは貧しいから泊められない」と
ウソをついて断りました。

↑こういう奴だったからこそ
お金持ちになれたという説も私の中に。

困った「素戔嗚尊」が 
途方に暮れて歩いていると、
今度は「巨旦将来」の兄「蘇民将来」のお家に
辿り着きました。

「蘇民将来」のお家は 
非常に貧しかったのですが、
「素戔嗚尊」が宿を請うと、快く受け入れて、
粟のご飯を炊いて、おもてなしをしたそうです。

 この「蘇民将来」の真心を込めた振る舞いに
「素戔嗚尊」は、たいそうお喜びになられて、
後日、再び、「蘇民将来」の家を訪ねた際、
厄除けの御利益のある「茅の輪」を手渡して、
腰に付けておくように命じました。

 このとき、「素戔嗚尊」は、
“後の世に疫病が流行っても、
「蘇民将来の子孫」と名乗り、
茅の輪を腰に付ける者は
疫病から免れるであろう“と
言い残したとされています。

「蘇民将来子孫也」と書かれたお札は
この逸話にちなんでいます。

 祇園祭は明日から後祭の宵山期間。
前祭に比べると
地味な感じがありますが、
こちらはこちらで味があります。
前祭ほど「バズらない」ので、
ゆっくり散策できるのも嬉しい。

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posted by 涌井慎 at 21:44 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする