2018年06月18日

父の日でした。

1AD8F113-0090-4166-A004-0266688322B8.jpg

昨日は父の日でした。
父の日になると思い出します。
それは幼稚園年長の頃のこと。

お父さんの似顔絵を描きましょう。
というお題を出され、
私はキン肉マンに出てくる
ブロッケンJr.の顔を描いたのでした。

当時の私の心境は、
いまとなってはわからない。
ただ、父親にそれを見せたとき、
とても父親に申し訳ないことをしたという
思いがこみ上げてきたことは
よく覚えています。

父親はJR(当時は国鉄だったかな)で
働いていました。
おそらく、鉄道マンのイメージと、
ブロッケンの衣装が、
リンクしたのでしょう。

父親はその出来事を
覚えてはいないでしょう。
しかし、私にとっては、
父親との思い出といえば、
まず頭に浮かぶほどの記憶なのです。

どれだけ子供に寄り添おうと思っても、
子供が大事に思っている気持ちを
大人は汲み取れないのだろう。
少しでも歩み寄れる大人ではありたい。

それはそれとして、
本日、実家に電話をしました。
母親が出たので、
父親に代わってもらいました。

父親は近況を淡々と話し、
私の家のことを聞いてきたので、
私も家のことを淡々と話しました。
最後まで、
「今日は父の日だから電話をかけた」
ということを伝える隙はありませんでした。

そんな父親です。

スポンサードリンク



posted by 涌井慎 at 16:14 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月17日

京都の名所旧跡ご紹介147 吉祥院天満宮

9F8ED851-B960-4146-9950-D8067C8B8F58.jpg

南区吉祥院にある神社です。
 
「天満宮」なのでご祭神は菅原道真さんです。
社伝によると、道真さんの祖父の清公さんが、
邸内にお堂を建てて、「吉祥院」と名付け、
菅原家の氏寺としたのが始まりとされています。
 
承平4年(934年)には
朱雀天皇が道真さんの像を刻み、
こちらに社殿を築いて
道真さんの霊を祀ったことから、
「吉祥院天満宮」と呼
ばれるようになったそうです。
 
境内には道真さんが朝廷に参るとき、
顔を写したとされる「鑑(かがみ)の井」など、
道真さんゆかりの遺跡が
いろいろと残されています。

道真さんゆかりの場所の割には
ここは「梅の名所」
というわけではないように思います。
いや、ひょっとしたら
知る人ぞ知る梅スポットなのかも・・。
 
古くから「六斎念仏」が
盛んに行われていた場所でもあり、
いまも「吉祥院六斎念仏」として
受け継がれています。
 
個人的にはそんないろんな逸話よりも、
おそらく全国的にも珍しい
キティちゃんが
鎮座しているお社として記憶しています。
噂によると
許可を得ているわけではないらしいので、
あまりSNSで公開してはいけないお姿です。
 
ある意味、秘仏。
いや、神社やから仏ではないか。
秘キティです。
常時公開されている秘キティです。

posted by 涌井慎 at 13:43 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

夏越の古書市。

0A16E6B7-9F0C-4704-BDAD-AE420C1717EB.jpg

京都文化博物館のろうじ店舗にて、
夏越の古書市開催中です。

祇園祭みたいに前祭と後祭に分かれ、
前祭は明日まで。
後祭は6月22日(金)から24日(日)までです。

京都古書研究会が主催する古書市は
かなりの確率で良書に出会える
古書活パーティーです。
結婚とちがい、
気に入った本は何冊でも
買って帰ることができます。
夢のような空間です。

買って帰ったあと、
いつも脳内では
小泉今日子の「あなたに会えてよかった」が
流れますよね。

皆さんも是非!

posted by 涌井慎 at 14:43 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

NO.895 オールスター。

B2CA8200-6823-4BCF-ACF6-9225BFD028D4.jpg

まさかスニーカーが
お弁当に入ってるとは思わんかった。
昆布ァース。
コンヴァース。

昆布の「ブ」を「ヴ」にするのは
涌井家くらいだろうな。

posted by 涌井慎 at 13:16 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

京都の名所旧跡ご紹介146 新熊野神社

0BB3703B-4CB6-4266-A5AF-B53123302BCA.jpg

東山区今熊野にある神社です。
地名は「今」熊野ですが、
神社は「新」熊野です。
読み方はどちらも「いま」です。
 
熊野信仰の盛んな平安時代末期、
永暦元年(1160年)、
後白河法皇によって創建されました。
後白河天皇は1155年に即位され、
1158年には退位されましたが、
退位後も「院政」を敷かれ、
そのとき、お住まいになられたのが
いまは三十三間堂の東側にある法住寺です。
 
当時は「法住寺殿」と呼ばれ、
新熊野神社は その法住寺殿の鎮守社として
建てられた神社です。
※ちなみに鎮守寺として建てられたのが
三十三間堂。
造営を法皇に命じられたのは
平清盛さんと重盛さん親子です。
 
法皇は一生のうち、
34回も熊野に参詣されていますが、
これは当時としても異常な多さです。
都人にとって熊野詣では 大変なことでした。
そこで、熊野の新宮・別宮として
創建されたわけです。
新熊野神社は長らく、
京の熊野信仰の中心地として栄えました。
 
紀州の「古い熊野」に対する
京の「新しい熊野」
紀州の「昔の熊野」に対する
京の「今の熊野」という
当時の都人の認識が
名前の由来になっているようです。
 
室町時代になると、
観世清次さんが猿楽結崎座を率いて、
ここ新熊野神社で猿楽能を奉納しました。
このとき、猿楽能を
観覧したのが足利義満さん。
 
すっかり猿楽能に関心を持ち、
特に12歳だった
藤若丸の虜になってしまいました。
さっそく義満さんは 藤若丸とその父親を
同朋衆(将軍お抱えの芸人みたいな感じ?)に
加えて、父親を「観阿弥」、
子供の藤若丸を「世阿弥」と
名乗らせたそうです。
 
そんなわけで、
新熊野神社は「能楽発祥の地」とされています。

posted by 涌井慎 at 15:24 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

NO.894 あの壮大な物語を台無しに

96C9DB0F-172F-4607-8BCA-FC44323C95EE.jpg

ロードお麩ザリング。
最高やな。

posted by 涌井慎 at 13:00 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

NO.893 ホキ

38B4F408-7AF0-4397-B4CF-E035C477D586.jpg

ホキっていう魚をご存知ですか?

オーストラリア南、
ニュージーランド海域、
水深200mから700mに生息する海水魚です。

ホキを知らなければ、
ホキケンテイで、
簿記検定のダジャレになっていることは
わからないわけです。

同じ程度の知識や教養、
また、同じ文化で生きていないと、
通じないのだと思うと、
ダジャレを通して、
コミュニケーションを取れるというのは
とても得難い、素敵なことに思えます。


posted by 涌井慎 at 13:39 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする