2017年10月23日

NO.797。怖い弁当出ました。

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ネットでは既に
「鯖ダウン」という言葉があるみたいですね。
「サーバダウン」はほんまに怖い。

気をつけて、大切に使うから、
力尽きてしまわないでほしい。

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posted by 涌井慎 at 15:55 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

京都の名所旧跡ご紹介50 妙顕寺

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寺之内通り新町西入ルにあるお寺です。

鎌倉時代後期、元亨元年(1321年)、
日像さんによって創建されました。
洛中における日蓮宗最初のお寺です。
 
日蓮さんがお亡くなりになられる頃、
日蓮宗は弟子・信徒合わせて数百人、
東国数か国に散在する地方教団だったそうです。
もっともっと日蓮さんの教えを
全国に広めるには、
天皇のおられる京都への布教が必要でした。
そこで、京都に
日蓮宗を広めるために動いたのが日像さんです。
 
鎌倉の由比ガ浜で寒中、百日間の行のあと、
日像さんは京都に向かいました。
日像さんのおかげで、
京都の有力商工業者の帰依を
受けたりもしましたが、
布教が進むにつれ、比叡山はじめ、
他宗の圧力がかかることとなり、
日像さんは流罪となって、
京都を追放されることになります。
 
2年後には許されて、京都に帰りましたが、
翌年に再び流罪。
こうして「流罪」→「帰る」→「流罪」と、
三度の追放と赦免を繰り返しながらも
京都の布教に尽力しました。
そんな苦労を経て、上洛から28年目に
「妙顕寺」を開いたのです。
 
後醍醐天皇の時代には 
法華経布教の勅使を賜り、
宗門の拡大の礎を築きました。
お寺はたびたび移転を繰り返し、
応仁の乱などを経て、室町時代後期には
二条西洞院にお寺を構えました。
 
二条城近く、西福寺の前には
「豊臣秀吉妙顕寺城跡」の石碑があります。

やがて、秀吉さんの命によって、
現在の小川寺之内に移転したということです。
さらに天明8年(1788年)の「天明の大火」で、
お堂は大半が焼失しましたが、すぐに復興。
現在の建物はそのときに再建されたものです。

posted by 涌井慎 at 13:17 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

京都の名所旧跡ご紹介49 報恩寺

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小川通り寺之内にあるお寺です。
室町時代、一条高倉に創建されたらしく、
当時は「法園寺」
(もしくは「法音寺」)という名前でした。

文亀元年(1501年)に慶誉さんが再興しまして、
このとき、「報恩寺」という
名前に改められました。
 
現在の場所に移されたのは
例の「京都の歴史あるある」。
豊臣秀吉のやつです。
 
その秀吉さんたっての希望で、
お寺に伝わる「猛虎の絵」を
聚楽第の床に飾ったところ、
夜中に虎の鳴き声が聞こえて、
秀吉さんは安眠できず、
すぐにお寺へ戻されたことから、
「鳴虎」として有名になりました。
この「猛虎の絵」は
寅年のお正月三が日に限り、公開されます。
 
一休さんが「この虎を外に出してください」と
理屈っぽいことを言うた虎の絵とは別物です。
 
ちなみに「複製画」は
常時公開されていますので、
事前予約のうえ、ご覧になってみてください。
 
この「鳴虎」のエピソードのほかにも、
「報恩寺」には
「勿撞(つかず)の鐘」というお話があります。
昔むかし、お寺の近くの織屋に
丁稚と織子が奉公していました。
 
二人は非常に仲が悪く、
何かというと口げんかをしていました。
ある日、お寺の鐘が「いくつ撞かれるか」で
口論となり、丁稚は「8つ」、
織子は「9つ」と言い張りました。
ただ、丁稚は織子が「9つ」というから
「8つ」と言い張っただけで、
実際は「9つ」撞かれることを知っていました。
 
やばい、このままでは
俺が間違ったことになってしまう・・・
丁稚はお寺へ行き、
「今日だけは鐘を8つにしてくれ」と
頼みました。

やがて日没になり、報恩寺の鐘が鳴ります。
いつもは「9つ」鳴るのに
その日は「8つ」しか鳴りませんでした。
 
翌朝、鐘楼に帯をかけて織子が死んでいました。
以後、報恩寺では
朝夕の鐘は撞かれなくなったそうです。

posted by 涌井慎 at 21:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

京都の名所旧跡ご紹介48 白峯神宮

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今出川堀川東入ルにある白峯神宮。

崇徳天皇と淳仁天皇を祀る神社です。
保元の乱で讃岐国に流された
崇徳天皇の慰霊のため、
明治元年(1868年)、讃岐の白峯陵から
神霊を迎え、創建されました。
 
続いて明治6年(1873年)には、
奈良時代に僧侶の道鏡さんと
恵美押勝さん(藤原仲麻呂)の争いによって、
淡路島に流されてしまった
淳仁天皇の神霊を迎えました。
崇徳天皇、淳仁天皇を結ぶキーワードは
「流された」です。
 
そんな哀しい運命を辿るご祭神を
祀っていながら、
白峯神宮がスポーツの神様として
知られているのは、
この場所が蹴鞠と和歌の宗家
「飛鳥井家」の邸宅跡だからです。
飛鳥井家の守り神「まり精大明神」が
祀られていることから、
球技の愛好者に親しまれています。
 
飛鳥井家について調べてみると、
鎌倉時代に飛鳥井雅経さんという
蹴鞠の名手がおられたそうです。
雅経さんは平安時代末期、九条兼実さんに
「無双達者」と賞賛されるほどの蹴鞠の達人、
藤原頼輔さんの孫です。
頼輔さんの時代には 
清水寺の清水の舞台の欄干の上で、
蹴鞠しながら何度も往復したほどの実力をもつ
藤原成通さんという方もおられました。
 
蹴鞠については清少納言も『枕草子』で、
「あそびわざは小弓。碁。様あしけれど、
鞠もよかし」
(遊戯ってみっともないけど、
蹴鞠っておもしろい)と書いています。

流行が広がり、分母が多くなればなるほど、
名手が現れるのは現代と同じですね。
 
そんな「蹴鞠」が中国から日本に伝わったのは
大和朝廷時代。
あの中大兄皇子が藤原鎌足と
蹴鞠が縁で親密になり、
その後の「大化の改新」につながっていくのは
有名な話です。
日本に入ったときから、相手に受け取りやすく、
打ち返しやすい配球をする
「リフティング」と「アシスト」の上手さを
競う、勝敗のない至って平和な球技でした。
 
現代の日中の関係にも、
この「蹴鞠的外交」を期待してしまうのは
私だけでしょうか。

posted by 涌井慎 at 11:44 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

脳梗塞です。

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火曜日の夜、
晩御飯を食べたあとから、
どうにも右手が使いにくい。

なんというか、
「笑っている状態」。
寒い日の朝、握力が入らず、
缶コーヒーを開けることさえ、
できないときがないでしょうか。

↑この例を出しても
誰も頷いてくれないのですが。

とにかく、ちょっと
「痺れている」ような状態で、
おかしいなと思いながら、
仕事を続けておりました。
しかし、どうにも動かしにくく、
マウスの使いにくいこと。

おかしいなと思いながら、
まぁ、明日になれば
忘れてるだろうと、
いつものように帰宅後は
2本ほど缶ビールを飲み、
寝ました。

朝、いつもの朝。
いつものように支度をしていると、
そういえば昨日の夜は
右手が使いにくかったなと思い出した。

もう治っているだろうかと、
意図的に右手を動かしてみると、
やはり動かしにくい。
昨日と同じ状態です。

少し心配になったので、
神経内科に行くことにした。
京都市立病院の北側に
神経内科の病院があり、
そこが家からは一番近いと思われたが、
職場が近いほうがよかろうと、
烏丸御池近くの病院へ。

予約なしで行ったので、
ずいぶん待たされるだろうと思ったら
案の定、「お待ちいただくことになる」と。
しかし、すぐに症状を聞かれ、
伝えると、
早めに診察してくれることになった。

いざ、診察の段となり、
先生に症状を話すと、
「手を前に上げたまま、
目をつぶってください」など、
いろんな指示を受け、
いわれるがままにしていると、
最後に私の目を見ながら、
先生が言いました。

「涌井さん、脳梗塞です。
入院することになると思います」と。

正直、放心状態です。
なんのことやら、わからず。
まず頭に浮かんだのは「やばい」でした。

いま、入院するんは「やばい」。
今日は次男をお迎えにいく日、「やばい」。
今日、収録あるやないか。「やばい」。
明日も放送やないか。「やばい」。
やばいやばいやばいやばいやばい。

とりあえず、職場の方々に連絡をした。
いま思えば非常に大げさな、
遺書のようなLINEだったと思う。
もちろん、妻にも連絡しましたが、
お昼休み以外は見ることはないのを
知っていたので、
こちらはごく簡単に報告。

京都市立病院を先生が紹介してくれたので、
そのまま自転車で市立病院へ。
自転車で救急に入る急患なんぞ、
私くらいではないだろうか。

同じような診察を受け、
いわれるがままにCTを。




「涌井さん、異常ありませんわ。」




念のためMRIもということに。
MRIはあの火葬場みたいなやつの中が、
激しいノイズなので、
ヘッドホンを被せられました。
ユーミンの「ルージュの伝言」が
流れていました。
オルゴールのような音で。
ずいぶん長い時間だったように思います。
実際、「ルージュの伝言」以外の曲も
何曲か知らない曲が流れたので、
20分くらいは入っていたと思います。




MRIも終わり、結果を待つ。




「涌井さん、異常ありませんわ」





というわけで、
結論、何も異常はなかったのでした。
入院するなら、
この際、ゆっくり休めるなとか、
入院中のことをおもしろおかしく
ブログに書いたりしようかしらとか、
そんなことも少しばかり、
考えていたため拍子抜けしましたが、
ともかく、ほんまに何もなくてよかった。

いや、右手はいまでも、
ややシビれた感じがあり、
脳以外のどこかには異常があるみたいですが
とりあえず、様子見でよいとのことです。

普段、健やかに生きていられることが
いかに尊いことなのか、
わかりましたよ。
実際に体験してみないと、
本当の気持ちなんてわからないものです。

幸い、脳梗塞ではなかったのですが、
断言されたときのあの気持ち、
あの気持ちは
大切にしていきたいと思うのです。

いつ、どうなるか、わからん人生。
お世話になっている人や、
愛する人、おもしろい場所に
なるべく身を置いていたいと思います。

そして、
私は結果、異常なしでしたが、
少しの違和感を無視せず、
おかしいと思ったら、
やっぱり病院に行かねばならんと
思いました。

次、同じような症状が出て
「大丈夫やろ」と思うほうが危険です。
程度の差はあれ、
みんな自分のことが好きやと思うんです。

ならば、
もっと自分のことを
見てあげないといけません。
そんなことが大切なのではないかと、
強く思ったのでした。

昨日の僕といったら、
いつもこんな調子だった。
心のベスト10第1位は
こんな曲だった。


好きな人のことを慕うのと同じように
自分のこともしっかりと
愛でてあげんといかんですね。




posted by 涌井慎 at 18:02 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

NO.796。ゴジラ感がなくなりました。

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松井秀喜を
松井ヒジキにするだけで、
こうも軟弱になるものなのですね。

posted by 涌井慎 at 21:20 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

NO.795 アテ

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今日はお昼ご飯が
サケのサカナでした。

昼飲みしたい。

posted by 涌井慎 at 14:51 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする