2020年05月13日

裏切り癖のある男

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今年は大河ドラマの影響もあり、

空前の明智光秀イヤーと

いわれています。

明智光秀といえば

本能寺の変でしょう。


主君の織田信長を裏切り、

信長のいる

本能寺に火をつけたわけですね。

この行為によって光秀は

裏切者のレッテルを

貼られることになりました。

 

しかし、光秀はそれ以前から、

小さな裏切りは

繰り返していたとされています。

例えば、寺子屋での

抜き打ち試験が終わったあと、

友人たちと試験の出来栄えについて

語るときには、

「全然できなかった」といって

満点をとったり、

信長に命じられ、配下全員で

長距離走の競争をした際は、

秀吉たちに「一緒に走ろう」と

呼びかけたにも関わらず、

彼らを置いてさっそうと

駆け抜けることもありました。


このため、本能寺の変で

信長が討たれたときも、

周りは「まさか」ではなく

「やはり」という感想が

ほとんどだったそうです。

秀吉が即座に

光秀の裏切りに対応できたのも、

光秀は裏切る男だという

心づもりが

あったからだといわれています。

 

また、秀吉は

長距離走で抜け駆けされたことを

かなり根にもっていた

ともいわれています。

いつの日か光秀には

仕返しをしてやらねばならんと、

復讐の炎を燃やしていた秀吉は、

光秀が本能寺で裏切った際、

時は来たとばかりに、

逆に涙して

喜んでいたとされています。


このため、裏切り癖のある光秀に

本能寺で信長を討つよう、

そそのかしたのは

秀吉ではないかという説も

あるほどです。

 

光秀を討ち、感極まった秀吉は、

「あやつは本能寺だけでなく

わしの心にも火をつけおった」と

つぶやきました。


親日家としても知られる

ジムモリソンが、

このエピソードを元に

あの名曲を作ったことは

意外に知られていません。


本気にしないでくださいね。



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posted by 涌井慎 at 16:03 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

当面の間

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新型コロナウイルスの

感染拡大の影響で、

いまも営業を自粛している

飲食店があります。


鳥貴族は政府の

緊急事態宣言延長を受け、

56日までとしていた

全国の直営393店舗の休業期間を

「当面の間」に延長しました。


また、飲食店ではありませんが、

京都では京都駅周辺の

ジェイアール京都伊勢丹や、

京都アバンティ、

京都駅前地下街ポルタは、

当初、56日までとしていた

休業期間を「当面の間」に

延長しました。

 

ここで気になる

「当面の間」という言葉。

近頃よく

耳にするようになりましたが、

将来の時間を表す言葉には

「当面」と「当分」があります。

「当分の間」という

言い方もあります。

「当面の間」という言葉については、

「『当分の間』と『当面』の

混交表現で誤りだ」、

「いや、誤りではない」と

どちらの意見もあります。

 

この「当面の間」という言葉、

最近になってやたら

耳にするようになったと思いきや、

実は いまから9年ほど前にも

多用されていました。

増えたのは 

2011311日の

東日本大震災の後です。


上記、「NHK放送文化研究所」の

サイトを参考にしました。

下記も同サイトから引用。


当時、「朝日新聞」「毎日新聞」

「読売新聞」「産経新聞」と

「共同通信」の記事を

検索した調査があり、

それによると、

2011年の1年の間に使われた

「当面の間」は

あわせて「538件」で、

2010年の「214件」の「2.5倍」に

なりました。


ちなみに、

2009年は「342件」、

2008年は「259件」、

2007年は「237件」だったそうです。

2011年が突出しているとはいえ、

それ以前にも、

それなりに使用されていますね。

 

当時は 様々なところで、

「当面の間」が登場していました。

例えば、震災後の計画停電に

関連して、金融機関のお知らせには、

「当面の間、ATMコーナーの

営業時間を短縮します」という

表現が、たびたび、

登場していたそうです。

NHK放送文化研究所のサイトでは、

「いつまで続くか、

現時点では判断できない」という

戸惑いが、「当面の間」という

表現ににじんでいるとしています。

 

「当面」は「今のところ」

「さしあたり」という

意味を含みます。

「当面、問題はなさそうだ」

「当面、人員は足りている」

といった使い方をします。

いっぽう、「当分」「当分の間」は

「当分、家へは帰れない」

「当分の間、

入院することになった」など、

ある程度長い時間がかかる場合に

用いられます。

 

では「当面の間」とは?

震災の後は「当面」の時間では

解決できない問題に対して、

「当面」より長く、

「当分」より短い印象を与える

言葉として、

「当面の間」という表現が

多用されたのではないか・・

ということなんですが、

まさに今の休業期間の延長にも

当てはまりますね。


今回の記事はほとんどが、

NHK放送文化研究所」からの

引用です。

「当面の間」になんとなく、

引っかかっていたのですが、

ずいぶん前に同じ言葉に

引っかかっていた人がいたのですね。

しかし、

震災の頃には「当面の間」なんて

気にしたことがありませんでした。

震災よりも、

いまのコロナ禍のほうが

自分にとって、

当事者意識が

強いということなのでしょうか。

それとも、この9年の間に

日本語の使い方について、

いろいろ考えるようになったから、

でしょうか。


個人的には

それなりに使われている2009年の

「当面の間」は

どんな使われ方だったのか?と、

2012年以降の頻度も

気になるのですが、

もう調べてはくれないのかしら。


NHK放送文化研究所」の

「当面の間」について

書いているページは、

「当面の間」で検索すると、

出てくるので、

ご興味ある方は是非そちらを

ご覧になってみてください。


ここにURLを貼れば、

それでいいんですけど、

興味あるんだったら、

そのくらい手間かけなさいよ。


posted by 涌井慎 at 16:24 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月11日

歩行者を優先してほしい

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信号機のない横断歩道を

渡ろうとしている歩行者が

近づいてくる車に対して

手を上げても

7割以上の車が

道を譲っていないことが

自動車安全運転センターの調査で

わかりました。


去年12月から今年1月、

埼玉県内の小中学校や

駅の近くにある

信号機のない横断歩道10箇所で

乗用車やトラック、

タクシー、バスの日中の状況を

調査したそうです。


道路交通法は

横断歩道での歩行者優先を

定めています。

歩行者や自転車が

いないことが明らかな場合以外は

車は本来、

減速しないといけません。


歩行者や自転車が

横断しようとしたり、

横断していたりする際は、

一時停止する必要があります。


ところが、

調査で歩行者役を演じた人が

横断歩道を渡ろうと、

手を上げた際に

通りかかった516台のうち、

減速や停車したのは

124台で全体の24%

歩行者が車のほうに

顔を向けただけの場合は

693台のうち95台で全体の13.7%

車のほうを見ないまま

立っているときは、

752台のうち96台で

全体の12.9%ちとどまりました。


いずれも、

ドライバーが歩行者に

気づいているのに無視したか、

気づかなかったのかは不明。


車と歩行者、

どちらが強い力を持つかは

言うまでもありません。

本来優先されるべき、

力を持たない者を差し置いて、

力の強い者の主張が

まかり通ってしまうのは、

車と歩行者の関係だけでは

ないような気がしますね。


私には

車と歩行者の関係が、

力の強い者のゴリ押しが、

力を持たない者に

忖度を強いるという、

現代社会の

縮図のように見えるのです。


posted by 涌井慎 at 14:58 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月10日

ハングル学習の記録

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別になんの志もないんですけど、

思い立って

ハングルの勉強をしてます。

NHKラジオのハングル講座を

聴きながら。


この3文字、

って画像がちゃんと見えないと、

どの3文字か

わからないかもしれないけど、

ぜんぶ「アッ」と

読むそうなんですが、

ぜんぶ違う「アッ」なんですよ。

正直ラジオの先生の発音、

まったく

聞き分けられなかったんですけど

ぜんぶ違う「アッ」なんですよ。


何が違うかというと、

いちばん上の「アッ」は

「あっぱれ」の「アッ」。

真ん中は「あった」の「アッ」。

いちばん下は「圧巻」の「アッ」。


どれも同じやんけ!と思うなかれ。

ぜんぶ舌の位置とか、

唇の開き方とかが変わるんです。

同じ「アッ」でも、

知らないうちに私たちは、

使い分けとるわけです。


後付けにはなりますが、

こういう発見が

めちゃくちゃ面白いっていうのが、

ハングルを勉強しはじめた理由ですね。


ちょっとやりはじめただけで、

こんなに面白い日本語の秘密まで

見つけてしまったから、

もっと勉強したら、

もっと面白くなるはずなので、

もっと勉強することにするわ。


ただ、

ほんまに聞き分けはできないけどな。


posted by 涌井慎 at 16:33 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月09日

読書の記録『カササギ殺人事件』上巻

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週に1回、

土曜日に読書の感想を

投稿しているのですが、

実際に読んでいる本の数は

週に1冊以上あるので、

日が経つごとに

感想を書いていない本が

増えていくのです。


でも、

読んだ本の順番に書きたいんです。

そうすると、

もうずいぶん前に読んだ本に

今頃になって順番が回ってくるから

めちゃくちゃ面白かった!

という感動は思い出せても、

果たして内容はどんなだったか?

という詳細を

書けなかったりするのです。


言い訳じみた前置きを

長々と書いてしまったことで

もうおわかりかと思いますが、

『カササギ殺人事件』上巻について

私は非常に面白く、

興奮しながら最後まで

読み切ったのですよ。


ところが、

いま、こうして本について、

何か書かねばならないとなると、

はてさて、

いったい何から書けばいいのか。

わからないのです。


ミステリー小説であることは

覚えていますが、

金田一耕助や明智小五郎にあたる

ポジションの人物の名前は

思い出せません。

しかし、

確かアガサクリスティへの

オマージュが

過ぎる作品だったはずで、

(私はアガサクリスティの作品を

読んだことがないので、

その辺りはあまりピンとこない)

確かにホームズと

ワトソンのような

役回りがおりました。


イギリスの片田舎が舞台で、

村に非常に影響力がある

富豪のお屋敷と、

その周辺が舞台です。


田舎って、

悪いことがあると隠すんですよね。

あっという間に

村八分されちまうのでね。

その怖さは計らずもいま、

新型コロナウイルスの

感染拡大により、

多くの人が肌で感じることに

なったと思いますがね。


都会に暮らして、

隣に住んでる人の顔さえ、

あまりよくわからないようだと

わからないかもしれませんが、

小規模の村だと、

どこの誰は昨日の晩に

何を食べたくらいのことまで、

噂で広まってしまいがちです。


私なんぞは、

中学生になり、

赤いTシャツを着ていただけで、

瞬く間に村中に

「不良になった」といわれた

友達を知っていますからね。

田舎ってそんなもんなんです。


『カササギ殺人事件』は

舞台がそういう田舎なので、

やっぱり皆さん、

悪いことは隠そうとするのです。

最初の被害者は豪邸の家政婦で、

なぜか勘が鋭く、

人が隠したいことを

嗅ぎつけるのが得意でした。


登場人物それぞれが、

何かしら後ろめたいものを

背負っていて、隠していて、

被害者の家政婦には握られていて、

誰もに犯行の動機がありそうで、

読めば読むほど、

ページをめくるスピードが

速く速くなっていったように

記憶しています。


さて、

こんなところでよいかしら。

とにかく、

下巻をすぐにでも

読みたくなる作品でしたが、

その下巻を読んだのも、

ずいぶん前のことなんですよね。

あんまり覚えてないから、

下巻の感想を書くのにも

苦労しそうです。





posted by 涌井慎 at 14:26 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月08日

カリギュラ効果

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ライブハウスが

苦境に立たされています。


早い段階で

クラスターが発生したことが

大きいのだと思いますが、

世の中に沈殿していた

「清く正しくない場所」

というイメージが、

今回、新型コロナウィルスの

感染拡大により、

大義名分のようになってしまい、

「ほら、見たことか!」

「前からあんなところは

必要ないと思っていたのよ!」

という意見が

出しやすくなったという

印象を受けます。


知っている人は知っている、

というのは

至極当たり前のことでありますが、

ライブハウスは

そのような

危険な場所ではありません。

密集密閉密接の三密という意味では

確かに客の多いイベントは

危険だと思いますが、

それ以前に抱かれてしまい、

沈殿している、

負の要素はありません。


しかし、

もともと、

負のイメージを逆手にとって、

閉ざされた空間で、

「わかるやつが集まって、

わかるやつで面白いこと、

やっていこーや」というノリで

生まれたのが

ライブハウスだった気も

するのです。


実際のところ、

ライブハウス誕生秘話なんてもの、

私は知りませんのですが、

一般社会で受け入れられにくい

善良な大人と言われる人々から

つまはじきされるようなセンスを、

クラスの中に12人、

いるかいないかのマイノリティの

センスを、

ギュッと集めて、

世の中のつまはじき者たちを

開放する場所として、

ライブハウスは

できたのではないか、

と思うのです。


知らんけど。

ほんまに知らんけど。


知らんけど、

ひと昔前はほんまに

やばいオッサンが、

集まる場所であったことは

知っています。

長髪で口が悪くて、酒呑みで、

何をして生計を立ててるんか、

よくわからんのに羽振りはよくて、

歯とか欠けてるし、

タバコ吸いまくるし、

下ネタ言いまくるし、

なんか汚いのに、

女にモテまくるオッサン。


ああいうオッサンの

救済の場として

在った気もしているのです。


ああいうオッサンたちが

集う場所なのですから、

よい子のみんなは

近づいちゃダメですよ、

という教育が為されるのは

むしろ当然のことであり、

それが故に、

禁止されているから

覗いてみたい、という、

鶴の恩返しのような心理で

(カリギュラ効果という)

閉ざされた空間を覗き込み、

その世界に惹き込まれる若者が

だいたい統計では

クラスに12人いるかいないか、

というところではないのかしら。


その閉ざされた世界では

基本的に市井を

バカにしているわけです。

俺たちみたいなおもろい感覚を

持ち合わせてる人間を

こんな狭いとこに

閉じ込めておかないと、

うまく回らん社会お疲れ!

俺らはこっちで

面白いことやっとくわ!

てなもんでして、

自分たちを認めない

つまらない大人たちに

反旗を翻し、

好き放題やる場所として、

アウトローたちに

支持されてきたという側面が

少なからずあると思うのです。


そうなると、

面白いもので、

もともと世の中が、

つまはじきにした者たちが、

今度は世の中を

つまはじきにしだすのですね。


ライブハウスに

出入りすることにより、

他とは違う、という、

優越感を得られるわけです。


私はこの優越感を

抱いたこともありますし、

逆にこの優越感によって、

場から弾かれることもあります。


どうせあなたには、

私たちの音楽の良さなんて、

わからないんだから、

入ろうとしたってダメですよ。

あなたのようなセンスの無い人間が

ここに入ることは認めません。


という、

わからない人を寄せ付けない

空気を出してる表現者も

中にはいます。


あ、ライブハウスの話でした。

表現者個人の話では

ありませんでした。


話を戻しましょう。

ライブハウスで、

閉ざされた場所で、

なんか面白いことやってるのに、

寄っていけないことに、

羨ましさとか嫉妬とか、

そういう気持ちを抱いている人、

けっこう多い気がします。


あんたたちだけ、

楽しいことやっててズルい!

こっちはいつも、

いろんなことを我慢しながら

生きて生きて、

ストレスの解消方法といえば、

オナニーくらいしか無いのに、

なんか楽しそうな場所で、

楽しそうじゃないの!!


っていうやつ。

在ると思うんですよね。

ほんまに知らんのですけど。

オナニーが気持ちいいことは

知っていますけど。


しかし、

もし、そうだとしたら、

いま、ずっと閉ざされていた

ライブハウスという空間が、

オンラインで表現を配信していて

これまでライブハウスに

つまはじきにされていた人たちも

その鋭い感覚に

触れる機会ができておるのです。


そういうところで、

これまで近寄らないようにしていた

危ない場所の空気に

ちょっと触ってみてほしいのです。


それで

「やっぱり無理」となったら、

それはそれで

結構なことだと思いますし、

1回観てみるだけで、

頭の中で思い描いていたものとは

違うということはわかるはずです。


お互いがお互いを

つまはじきにし合って

成立していた世界がいま、

未知のウィルスの感染拡大と

闘うなかで、ついに手と手を

取り合うことになったぞ!!

という、

結果になっていけばいいのにね。


別にこんなことを

書きたかったわけではないような

気もするんですけど。

オナニーは気持ちいいですよ。

それだけは知っている。

あとの話は全部知らんけどや。


























posted by 涌井慎 at 07:16 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月07日

エコーチェンバー現象

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SNSのおかげで

情報の発信も受信も

とても便利になりましたが、

弊害についても、

肌で感じている方は

多いのではないかしら。


音楽の録音に使う残響室を

エコーチェンバーといいますが、

この残響室のように、

閉ざされた空間で

コミュニケーションを

繰り返すことで、

特定の考え方が増幅し、

強化されることを

エコーチェンバー現象といいます。


似た考えの人同士が

共感し合ううち、

意見や思想が過激で極端になり、

多様な考え方を

受け入れられなくなるわけです。


自分でも

怖いと思うことがあります。

安倍総理に対して、

言いたいことはいろいろある。

しかし、やはり、

まさに、ですね、

まさに、やはり、私としましては、

やはり、まさに、

いくら安倍総理であっても、

しっかりと、

さん付けしたり、

せめて「ちゃん付け」を

するべきではないかと

思うわけです。


近頃、

安倍総理を支持する人たちも

支持をしない人たちも、

どちらもネットで見ると、

鋭くなりすぎている

気がするのです。


アメリカの大統領選挙でも、

結局、トランプ氏の対抗馬の

民主党候補も、

トランプ氏並みの極端さがないと

トランプ氏には勝てない、

というようなことを聞くわけで、

それじゃあ、

トランプ氏でもいいじゃないか、

とはならないのかしら。


わかりませんけどね。


私は自分の思想、発想が

知らないうちに

極端になってはいないか、

ということを、

自分に対して

疑っておきたいと思うのです。




posted by 涌井慎 at 10:52 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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